あくまでも歪なくというところを強調したい。
なにものでもない人間が社会で働くということのひずみ
大学を卒業し、就職をする。
大した資格を取得していない学生の社会的信用は皆無である。
いわばなにものにもなり得ていない人が大半。
若いという将来の希望に社会は投資をしている。
何も学生だけに限った話ではなく、30代40代50代のサラリーマンでも運転免許以外の資格を有している人は少ない。
要するに職務経歴、実績、所得などから社会的信用の度合いを見積もられるわけだ。
人によってその見積もりのさじ加減は大小あり基準となるものはない。
なにものかが分かりにくいがゆえに値踏みも様々なのが今の日本社会。
国家資格の充実と早期取得がカギ
高度な知識が必要で社会的責任が重大な職業には国家資格があるが、プロとして社会活動をしているならどの業界・業種でも高い知識と技術が必要なのは同じこと。
建設業、商社、旅行代理店、家電量販店、大工、印刷、証券会社。
様々な職業で様々な専門的な知識が必要なのは変わりない。
これら様々な職種の知識・技術の国家資格の種類をさらに増やす。
そして受験資格に実務経験〇年以上という制約をなくし、学生の最終目標を国家資格の取得にする。
単に大学を卒業するのではなく、国家資格を持って大学を卒業するという前提が必要なのでは。
会社に勤めてから3年~5年で一人前と良く言われる。
もし、プロフェッショナルとして社会に出るのなら、逆算するともう高校時代から将来の職業を決めて専門技術を学ぶという事になる。
そうなれば生産性は飛躍的に向上するだろう。
技を持った者として対等に社会と向き会うために
国家資格の取得が学業の終了目的とすると、大学卒業後の彼らはなにものでもない存在ではなく、各分野でそれなりの技や知識を持った者として社会的信用のある存在となる。
国はそのような個々の社会的信用度を表す仕組みを作るべきだ。
最低労働賃金だけでなく、有資格者の地位向上、また労働相場にも国は積極的に関与すべきだと思う。
所得格差の正規社員、非正規社員による是正は表面的に過ぎない。
所得の格差の根本は本当に必要な人材かそうでないか。
国家資格を有する技や知識がある人はより高い賃金というのが正当なのではないだろうか。
この辺りを社会の自由にしていると長時間労働でも文句が言えない社会になるのだと思う。
また、国家資格を有する人材の一定の地位、労働相場が確立されれば転職もしやすくなるのだと思う。
社会的信用を築きやすい世の中に
今の世の中で社会的信用を築くのは個々のキャリア形成に委ねられている。
資格所有者であっても社会的信用の確固たるものはない。
個々が自尊心を持って社会的活動を行うためには社会的信用を国が認める形が理想なのだと考える。
そのためにも国家資格の種類を増やし、学業の最終目標を国家資格の取得とし、その地位を社会が認める。