
広島県のメジャーな観光地をあえて避ける広島観光
さてさて、成人の日の三連休、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
私はというと広島県へと一泊二日の一人旅に出かけて来ましたよ!
今回の旅では原爆ドームや大和ミュージアム、安芸の宮島といったメジャーな観光地はあえて避けて、私好みの観光地、珍スポット巡りをしてきたので、広島県の度定番な観光地情報にあきあきしている人に届けばいいなぁと・・・
まずは町並み保存地区たけはらの町並み散策

さてさてまずやって来たのは道の駅「たけはら」
広島県竹原市は古くから瀬戸内の交通の要衝として発展した町。
安芸の小京都なんて呼ばれ、製塩、酒造で財をなしたお屋敷が建ち並ぶ。
道の駅「たけはら」で車を停めて、ここから歩いて3分ほどで町並み観光が出来る。









江戸時代にタイムトリップ!なんて安直な言葉は使いたくないが・・・
この静かな町並みの雰囲気に現実を忘れて、一人旅へと集中するスイッチが入る。
こういう観光地はカメラ好きのおっさん一人旅で十二分に楽しめる場所。







メイン通りは無電柱化されており、さらに雰囲気が良くなる。
通りの両脇には食事処、甘味処も数店あり、何を食べるか軒先のメニューを眺めながらの町並み散策もまた楽しい。

まさかラーメン屋があるなんて。
こういう発見は実際に現地を訪れないと分からない。
こういうのも旅の楽しみであったりする。









もはや語るよりも撮影した写真を見て旅の感動を共有出来ればと思うのだ。

さてさて、町並み保存地区たけはらの丁度真ん中あたりにある西方寺へと続く石階段。


石階段を登ると「たけはら」の瓦屋根の景色が美しい。


さらに西方寺の普明閣というお堂のからの眺めはたけはらが一望できて絶景。



見てよ、この瓦萌えぇな感じ。


いくつか建物内を無料で見学できる場所もある。

さて、たけはら観光を終え、道の駅「たけはら」へと戻ってきて、しばしお買い物。
アニメ「たまゆら」の聖地巡礼地なのだとか。
私の場合、アニメを見て巡礼ではなく、観光地を訪れ、初めてそのアニメに興味を持つパターンだな。
旧呉鎮守府司令長官官舎がある入船山記念館を訪ねる

さて、先ほどの竹原市から車で1時間ほど。
やって来たのは呉港。

大和ミュージアムよりも見るべきスポットはこっちだろうと思ってやってきたのは旧呉鎮守府司令長官官舎がある入船山記念館。


こちらは観光客が少ない印象。

で、入船山記念館でぜひとも見たかったのがこちらの旧呉鎮守府司令長官舎なんだ。
日本遺産として国重要文化財であり、歴代32人の司令長官とその家族が実際に暮らしていた建物。

素敵な洋館の裏に回ると雰囲気ががらりと変わり、日本式の御屋敷となり、こちらから建物内を見学することが出来る。


モダンな長い廊下を歩いていくと・・・

先ほどの洋館内へと続く。







迎賓館として使われていた旧呉鎮守府司令長官官舎の洋館。
壁の施された金唐紙の豪華さたるや。


昭和5年9月1日軍艦「出雲」における艦上午餐会の献立を、海軍の料理教科書により再現したもの。





こちらの日本式の御屋敷にはかなりの部屋数があり司令長官の位の高さがうかがえる。
戦艦大和が建造されたドッグ跡が見れる「歴史が見れるの丘」へ

さてさて、続いてやってきたのは入船山記念館から車2分程度の場所。


この左側の茶色いトタン屋根の場所がかつて戦艦大和が造船されていた場所。
大和のふるさとという看板が目印。
大東和戦争に詳しい人は大和ミュージアムよりもこちらの方が感慨深いだろう。
ちなみに戦艦大和の姉妹艦である戦艦武蔵の造船物語の名著、吉村 昭 (著)の戦艦武蔵は(新潮文庫) がめちゃめちゃ面白かったのでおすすめ。
元遊郭だった旅館「一楽旅館」に宿泊

さて、呉港から車で1時間。
広島市の繁華街である八丁堀近くにある今夜のお宿へ。
背後にマンションが建ち並ぶ手前にポツンと戸建て住宅のような建物が・・・

こちらが今晩のお宿、元遊郭であった旅館「一楽旅館」

玄関を入る。

なんとまぁうれしい歓迎の文章が・・・
ちょっと待って、今日の宿泊はもしかして私一人?
ご主人に話を伺うと、今日は私一人らしい。
他の部屋も撮影したかったら自由に撮影してもいいとのこと。
SNSなどを通じて全国からレロト好きなお客様が来るのだそうで、宣伝になるからジャンジャンネットにあげてもらったほうが・・・とのこと。






どうよ、この中庭というか、吹き抜けに大きな池があり鯉がおよいでいるんだぜ!
今回の広島旅のメインの目的がこの旅館だったんだ。

宿のあちらこちら細かな意匠があり、令和となった今ではなかなか見ることが出来ない。




2階へと上がるメイン階段には曲がった木材が使われており、下地窓もそれぞれ意匠が違っていてかなり手が込んでいる。
建物自体は昭和25年に建てられたものなのだとか。

各部屋へと入る扉の手前には門のような意匠があるのも特徴的。


部屋の扉の前はコンクリートと小石の意匠があり、館内ながら、個別の部屋感が演出されている。
また、部屋ごとに意匠が違うのも職人さんの手作り感が伝わってくる。

ご主人から各部屋を撮影してもいいとのことだったので撮影。
こちらはベットのような意匠で館内の部屋の中でも変わった造りだった。

こちらの部屋には個室風呂があるという。

いわゆるおばあちゃんの鏡の向こうに見えているのが個室風呂。

岩風呂っぽく造られているのでこの建物を造った人物のこだわりが伺える。


他の部屋はこんな感じ。

そして私が本日宿泊するお部屋がこちら。
四畳半一間のお部屋。
素泊まりで7,700円なんだな。


この部屋の丸窓にもこだわりを感じるんだな。

この服掛けも昭和25年当時から使っているそうだ。
こういった旅館は年々数が減っていく。
営業しているうちに行かないと。
いつかは行きたいというそのいつかには閉館している。
昭和の湯治場や古い銭湯なども、行けるときに行っておかないと、どんどん昭和遺産は無くなっている。
今回の一人広島旅は、この旅館に泊まるための旅であった。



建物の奥にも2階へと上がる階段があり、その踊り場にライトで照らされた小窓が・・・
小窓の奥には布団が見える。
1-raku.jp
広島の繁華街へ





さてと、アルコール摂取のために、旅館から歩いてすぐの広島の繁華街へ。
広島といえば7年前に食べた安芸の宮島の焼きカキの味が忘れらんない。
お好み焼きも名物だが、大阪に住んでいる私はここまで来てソースまみれという気もしない。
さて、焼きガキが食べれるお店は・・・・
独りで知らぬ土地での夕飯探しは難しい。
ちょっとした冒険だ。
予算5,000円ぐらいで落ち着いて飲める温かいお店はあるだろうか。
窓や扉越しに店内を眺めて、いやここは違う。うーんお店の雰囲気がなんだか・・・
などとお店の品定めをしながら夜の繁華街を歩く。
この辺りは日曜日が休業日のお店が多い印象。
迷って見つけたのが「民宿」という居酒屋。
お目当てであった焼きガキにもありつけ、お造りの盛り合わせ、あなごの白焼きなどをあてに、ビールと広島の地酒、賀茂鶴をいただきながら、ぽつりぽつりと時間がゆっくりと流れる。
幸いにして、店内には客も少なく、静かに酒がすすんでいった。
地図から消された島、毒ガス製造島「大久野島」へ、今ではうさぎの島として有名

さてさて、昨晩は一楽旅館で一泊して、やって来たのは再び広島県竹原市。
忠海港と呼ばれる場所。
港の観光駐車場に車を停めて、ここからフェリーで大久野島へと向かう。

大久野島は近年うさぎの島として観光客で賑わっており、忠海港のフェリー乗り場にはオシャレなお土産物屋&カフェが建っており、若い女性達がうさぎの土産物を楽しそうに選んでいる。
ものの・・・
その横の売店のベンチでは地元の年寄連中が売店で缶ビールを買って数人で酒盛りをしている。
いいなぁ~朝から酒盛りかぁ~。
こういうのが昔からの忠海の日常の情景なんだろうな。
私もオシャレな土産物店ではなく、売店で手作りおにぎり180円を購入した。

さて、フェリーのチケットを購入。
片道360円。


乗るのはこの小型客船。
この小型船に100人ぐらいは乗れるらしい。
大久野島はラビットアイランド推しなんだな。

10時30分出港の船の列に並ぶ。
この日は30人ぐらいの乗船だったかな。
さすがに外国人の観光客はいないかぁ。



忠海港を出港して約10分程度で大久野島に着くとのこと。
はてはて、どの島が大久野島なんだろう。
と思いながらも、あたりを見渡すとおっさん一人という乗客は皆無なのであった。


さぁ~ってっと!大久野島に上陸!
シンプルな港が無人島に来たぞーって感じだ。

大久野島は一周約4㎞と小さな無人島と言えどもビジターセンターや大きな国民休暇村などの宿泊施設もあるんだな。
ただ、この島に住所を持つ住人がいないってこと。


島に到着するとさっそくウサギがお出迎え。
だが、イメージと違う。
もっとさぁ。
ウサギたちがわぁっと足元に集まって来てさぁ。
奈良公園の鹿たちのように餌に群がるっていうさぁ。
SNSでそのような写真を見るんだけど・・・
実際はポツリ、ポツリと茂みの下にウサギがいる感じ。
SNSで見るのと実際は違う。
奈良県の若草山の山焼きなどはその最たるものであった。
だが、この島に来た私の目的はウサギさんでは無いのである。

この毒ガス資料館なのだ。
ウサギの島としての大久野島ではなく、毒ガス製造島としてかつては地図から消された大久野島を見たかったのだ。

まず、フェリーを降りて港を右方向へ歩いてすぐにあるのがこのトンネル。



トンネル内の壁には喫煙許可と書いてある。
わざわざ喫煙許可と書かれているということは、禁煙エリアが設定されていたということか。

トンネルを抜けるとさっそく大久野島最大の戦争遺構である発電所の廃墟。





これほど大きな戦争遺構が残っているは珍しい。
毒ガス製造島としての電力をこの発電所で賄っていたそうな。
当時は建物の外壁を迷彩色で塗られ、外敵から発見されない工夫がされていたとのこと。


大久野島には毒ガス製造に関する戦争遺産が多く残されている。


大久野島の全容としては戦争遺産という印象は影を薄め、レジャー地として開拓されている印象。
国民休暇村やキャンプ場、テニスコートなどがあり、海岸沿いにはただただ、だだっ広い広場が点在していて、広場の活用目的が分からない。


そして、こちらが大久野島にある毒ガス資料館。
残念ながら館内は撮影禁止。
昭和4年に大久野島に毒ガス工場が設置された。
国際条例で禁止されていた毒ガスを秘密裏に製造するため、ここ大久野島は日本地図から消され、本土からも島が見えないよう、本土を走る鉄道が島の付近を通る際は鉄道員が車内の窓のカーテンを閉めて回ったそうな。
イペリットと呼ばれる毒ガスを主に製造し、資料館では、当時の工員が着用していたガスマスクや、工員の健康診断の様子を写した写真など、生々しい資料が展示されている。
当時は毒ガス製造とは公に言うことが出来ないため、兵器技術職員として工員を募集していたそうだ。
そして求人広告に記された給与はかなりの高給だったそうだ。
かといって騙されたという工員は少なく、みんなお国のための栄誉ある仕事として働いていたらしい。






大久野島に点在する毒ガス貯蔵庫の戦争遺構。
猛毒のイペリットを10トン缶単位で貯蔵していたそうな。
そしてこの島で造られた毒ガスは製造期の15年で6615トン。
戦後、連合国の支持の元、日本人作業者によって、大久野島の毒ガスはすべて処分されたというが・・・
戦後の混乱期でもあった故に、消毒処理もままならず、火炎放射器で焼却されたものも少なくないのだ。
毒ガス貯蔵庫が黒ずんでいるのは焼却した時のすすなのだそう。
また、そのまま海に流したものもあるそう。
なのでこの島の飲み水はすべて外部から持ち込んでいるのだそうだ。
まとめ
さてさて、今回は広島県の王道の観光スポットをわざと外して観光してみました。
戦艦大和のふるさとである呉鎮守府には一度は訪れてみたい。
というのも30代の頃に光人社文庫に激ハマりして、大東亜戦争のエピソードを数々読んだんですね。
また、坂井三郎の「大空のサムライ」とかね。
山本五十六、南雲忠一、山口多門、山下奉文、今村均、栗林忠道など。
それぞれの戦略、正義にそれぞれの大義があることを知ることであの戦争の本当の姿を知ることが出来ました。
この学びは決して教科書では学ぶことが出来ません。
広島に行って戦争を学ぶより、戦争を学んでから広島を訪れるとまた見る視点が変わるかも・・・
ってことで
今日はこれまで。
最後におすすめの本を紹介しておきます。