月に2回~3回程度、市立図書館に通う私。
土日の休みの日の午前中、散歩がてらぶらりと図書館に立ち寄るのがここ数年の習慣になっている。
その目的はというと、るるぶを見たり、るるぶを見たり、時々ことりっぷを見たりと、週末に何処に出かけようかと情報収集をすのである。
「京都歴史散歩」とか、「奈良街道を歩く」とかそんなガイド本が沢山そろっている図書館をまるで旅行代理店のように活用している私。
旅に関する情報がいろいろ入手できるのである。
そんな前置きはさておき、世の中の本は電子書籍に変わりつつあるわけで、そうなると今後の図書館ってどうなるのだろうと・・・
やはりデジタル図書館は現実的なのか
デジタルなので貸し出すという概念はなくなるのかな。
理論的には延々に複製可能なものなので、他に読みたい人がいるかもしれないから2週間しか借りれませんという制約は矛盾を起こすだろうし。
そうなればデジタル国立図書館が一つあれば、日本全国インターネットで図書がダウンロードできる世の中になるのだろうか。
そうなればもはや各自治体ごとに図書館がある必要性が無くなるわけだ。
となれば、全国にいる図書館司書とかどうなるのだろう。
やはり職を失ってしまうのだろうか。
そんな心配もあるが、図書館サイトで電子図書がダウンロード出来るとなるとそもそも本を購入する人がいなくなるのは明白。
こりゃ未来の図書館の在り方について早急に考えないと、デジタル化の波の方が速そうだ。
図書館は規制があるから守られてきた
図書館が担う役割の最も重要な部分は資料や情報の公開です。
すべての国民は,いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する」こと,そして「この権利を社会的に保障することに責任を負う機関」が図書館であることを表明した
とあります。
図書館を利用するためには。
図書館に行かなくてはならない。
図書館に借りた本を返さなくてはならない。
図書館に所蔵さている本しか貸し出すことは出来ない。
このような規制があったから本の出版社も理解を示してきたのだと思う。
で、デジタル社会となり、図書館がまるでAmazonのような形式になるとさすがに出版社も食べていけなくなるだろう。
未来の図書館は本を読む場所だけになるのかも
さすがに電子書籍の時代となった図書館の在り方を創造するのは難しい。
無償で永遠に図書を貸し出すことは出来ないだろうし。
だとすれば、図書館内のWifiに接続できる人のみ、データベースにある電子図書を閲覧できるというルールを考える人もいるだろう。
でもこりゃどう考えても不便だよね。
図書館の利用の多くは貸し出しがメインだから。
図書館内での閲覧のみ可能とすれば「すべての国民は,いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する」ことにかなりの制限がかかる事になる。
図書館とはなんであるのか
電子書籍の時代になると、図書館の存在意義がそのもの問われてくるのだと思う。
夏休みに子供が絵本を借りに来る光景は今年も沢山見た訳だけれど。
電子書籍が主流になると、わざわざ図書館まで来なくても済むのかもしれない。
とはいえデジタル書籍の貸し出しは可能なのか。
そう考えるのである。
将来、絵本も電子書籍化となるだろう。
絵が動いたり、音楽が流れたり、これまでの絵本にはない子供の創造性を育む演出がデジタル絵本では可能だ。
って、もはやそれはアニメーションではないのか。
そんなことを考えるデジタル化が進む世の中で将来の図書館の在り方ってどうなるのだろうと思う今日この頃です。
ではでは