暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

滝口と横笛の旧跡、滝口寺を訪ねる。新田義貞の首塚とか。

京都滝口寺

滝口寺

京都嵯峨にある滝口寺。
苔の名所である祇王寺の真上にあるお寺。

 

祇王寺を訪れる観光客は多いが、目と鼻の先にあるこの寺を訪ねる人は少ない。

 

ここも平家物語のゆかりの地。
滝口と横笛の物語と少々地味なゆかりの地なのである。

 

そんな地味な物語に注目したのが高山樗牛の「滝口入道」。
1894年読売新聞にて連載された小説である。

 

そんなお寺なのですが、山寺には山寺の魅力があるもので
参観料300円を払って中に入ってみる。

 

 

滝口寺

小倉山の斜面に隠れるようにある場所。
山へと続く短い階段を登ると・・・

 

滝口寺

滝口寺

見えてきたのはうっそうと茂る木々に囲まれた本堂?

 

 

滝口寺

滝口寺

滝口寺

滝口寺

山寺風情な本堂。
こういう場所もまたいいもんだ。

 

滝口寺

滝口寺

滝口寺

堂内から眺める緑がきれい。
時たま舞う蝶を眺めたり、鳥のさえずりを聴きながら、こんな場所でボケーっと過ごすことが出来たら・・・

にしても誰も参観者がいない・・・

 

静かだ・・・

 

滝口寺

こんな場所で暮らせたらさぞ充実することだろうなぁ。
田舎暮らしにあこがれるは私はそんな事を思うのだった。

 

滝口寺

佐々木信綱筆の扁額は建物の中にあります。
と・・・

佐々木信綱って誰だ・・・

wikipediaによると平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将・御家人。
だったらしい。

この地にゆかりのある武将なのかな。

 

 

滝口寺

緑が萌える庭。
竹林の色が鮮やかだこと。

真夏なら蝉の声とか凄いのだろうか。
夏に訪れるのもいいかもしれない。

あっでも蚊とか多そうだな。

やはり5月6月の新緑の時が一番いいのだろうか。

 

 

滝口寺

滝口寺

滝口寺

滝口寺

こちらは新田義貞の首塚。
都に晒されていた新田義貞の首を妻の勾当内侍(こうとうのないし)が持ち出して、この地に葬ったと伝えられている。

太平記では鎌倉幕府を倒すという活躍ぶりの武将の首がこんな場所にて弔われているとは初めて知った。

 

正直、これとて見るべきものが見当たらないお寺ではあるが、そこがまたこの寺独特の雰囲気となっている。

 

人気がなさそうなお寺ですが、祇王寺のすぐそばなのでついでに立ち寄る人もいるだろう。

私もその一人。

なんとも寂しい場所ではあるが、何か感じるものがあるかもしれない。

そんな事を思う今日この頃。

ではでは。

 

 

滝口寺

当初は、もと良鎮上人の開祖にかかる往来院の子院で、三宝寺と称し、浄土宗に属したが、明治維新の際、廃絶してしまった。


かって三宝寺には滝口入道と横笛の悲恋物語が伝えられていたところから、滝口寺とよばれていた。近年、有志によって庵室が建てられ、清凉寺内の史跡となって甦った。


本堂には、三宝寺遺物である滝口入道と横笛の木像を安置している。


滝口入道は、名を斎藤時頼といい、宮中の警衛に当たる滝口の武士であったが、健礼門院の雑仕女横笛を見染て恋に陥った。

 

しかし、彼の父は、その恋を許さず、そのため時頼は、わずか19歳にして往生院に入り出家したのである。


横笛は、これを聞き往生院を訪ねるが、滝口入道は、修業の妨げと合わず、そのため、横笛は悲しみのあまり大堰川に身を沈めたとも、奈良、法隆寺に出家したともいう。


滝口入道は、のち、高野山清浄院に入って高野聖となり、元暦元年(1184年)、紀伊勝浦での平維盛入水に立合っている。