暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

たとえ闇営業とは言え、所属芸人の不祥事に対して、なぜ吉本が真っ先に謝罪会見を行わなかったのかその理由を考察。

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吉本所属芸人といえども所属という責任はない。

まぁ言いたいことはタイトルの通り。
それしかなのだが。

闇営業で個人がしでかした事として、吉本とは無関係というスタンスが伺える。

例え、吉本を通したものではなくとも、所属芸人が犯した不祥事に対して、吉本はなんら責任を感じなかったのかだろうか。

その点がちょっと理解できない。

トカゲのしっぽキリとしか思えないし、それでOKというその感覚がもうね。
昭和だなぁと。

 

お金を受け取った、受け取らないが論点ではないのだけれど、なぜそこが謝罪するしないの論点になってんの?

なぜ、お金を受け取らなかったからOKとなるのか。

お金を受け取る、受け取らないに関わらず、反社会勢力のイベントに参加するだけでアウトだろ。

なのに、なぜそこが吉本が謝罪するしないのトリガーになってるのだろう?

不思議だ。

 

吉本は所属芸人という感覚ではなく、芸人という個人事業主に仕事依頼するブローカーという感覚なのでは。

今回の記者会見で一番思った事です。

自ら育てた芸人であり、プロデュースしたのは吉本興業だろうに。

プロデュースした側の責任はないのだろうか?

その責任を感じないとすれば、それは単に、元受けが下請けに責任転嫁する構図が想像される。

下請けの不始末なので我々は関係ないという感覚なのだと思う。

 

なればそのようなスタンスを明確にすべきだと

芸人との契約書がないという報道が多々あるけれど・・・

吉本がブローカー的な役割で個人の不祥事に我関せずであるならばそのような契約書を設けるべきなのだと思う。

個人事業主との責任の所在を明確にしないと・・・
だから相手が弁護士を立ててから、びびるような事になる。

 

たぶん、芸人の労働組合を吉本は認めないだろう。

吉本にとって芸人は労働者ではない。
あくまでも個人事業者との契約というスタンスは変わらないだろう。

そりゃ集客が出来ない芸人の給料は払えないだろうしね。

芸人を労働者としたならば、最低労働金銀というものが必要なのだろうし・・・。

所属芸人が社員として、厚生年金、雇用保険などに加入しているのかというとそうではないのだろう。

まぁそのようなグレーな労働環境が、雇い主、雇われという感覚もグレーとなるし、責任の所在もグレーになっているのだろう。

 

所属タレントのプライベートの責任は所属プロダクションとは全く無関係なのか。

 

たとえば大手企業の従業員が事業に関する不祥事を起こすと、企業は謝罪会見をすることは当然だ。

だがしかし、個人的な犯罪に関しては企業が記者会見をする事はない。

そりゃ事業に関する事ではなく、あくまでもプライベートな話だという事だから。

 

いち従業員のプライベートな不祥事であるからだろう。

ひるがえって、タレントや芸能人のような人たちをプロデュースするような立場の企業ならどうだろう。

 

社会影響力もあり、たとえプライベートな事であろうともその人を世にプロデュースする立場であるのなら、個人的な不祥事でもその責任の一端はプロダクションにあるのだと思う。

 

それは所属タレントの麻薬所持などの報道でも違和感を感じていた事。
タレントの自信の謝罪会見があるが、プロダクションの謝罪はなく、契約解消という告知のみ。

 

だから、吉本もそうしたのだろうと思う。

 

あくまでも個人との契約なので個人の不祥事は個人の責任。
所属プロダクションの責任はない。

 

これまではそれでなんら違和感はなかったけれど、何故だか今回の闇営業の謝罪会見に違和感を感じた。

それは吉本という芸人を育てるシステムがそうした違和感に繋がったのかもしれない。

 

下記、吉本興行の興行指針なのだが・・・

 

私たちは、「誰もが、いつでも笑顔や笑い声をもてる社会」の実現を目指します。
私たちは、この大きな目標を実現するため、タレントと協同一致し、持てる能力を最大限に発揮して、
子供からお年寄りまで男女を問わず安心して楽しんでいただける最良のエンタテインメントを創造し、
これを社会に広く提供して、人々の心に残る「笑い」や「幸せ」をつくりだしていきます。

 

この私たちとは誰の事なのだろうか。

「誰もが、いつでも笑顔や笑い声をもてる社会」の実現とは・・・

 

そういうのであれば、正反対の行動に加担をした芸人をプロデュースしたその企業がまず謝罪をすべきだと・・・

 

プロデュースした責任は問われなくていいのか・・・

 

て、芸能界に詳しくはないのだけれど、自分なりの今回の闇営業の謝罪会見について考察してみたって話です。

 

ではでは。