天王寺の「てんしば」は真夏の猛暑でも人だらけだけど、てんしばの隣にある大阪市立美術館の裏、慶沢園まで来るとほとんど人がいない。
都会の喧騒を離れてプチ森林浴をするのには非常に便利な場所。
入園料150円が必要だけれど、この程度なら安いもんだ。
慶沢園
もと住友家茶臼山本邸内の庭園で、木津聿斎(きづいっさい)の設計にて、京都の名庭園師、小川治兵衛の手により明治41年に着工し、大正7年に完成した。
その後、大正10年に住友家の転宅とともに、昭和元年に慶沢園を含む茶臼山一帯の土地を大阪市に寄付され、天王寺公園の一部となった。
名の由来は、伏見宮貞愛親王から賜ったもので、初め「恵沢」の名を用い「照代え恩恵、祖先の余沢」の意により出たもので、大正7年5月に「慶沢園」の字に改められた。
この庭園を手掛けた小川治兵衛って、平安神宮神苑、円山公園、無鄰菴など数々の庭園を手掛けた、近代造園のスタイルを確立したと称えられる造園家なのだとか。
っていうか天王寺公園って住友家の持ち物だったってスゴイな。
で、その広大な土地を引っ越しするから大阪市に寄贈するね。
ってのもスゴイ話だわ。
ほら、人が全然いないでしょ。
園に入るとすぐにある休憩所、四阿(あづまや)。
こんな漢字、絶対に読めんわ。
目にも涼しげな場所。
床には那智黒が敷き詰められている。
って黒飴の那智黒じゃないからね。
那智黒とはそもそも和歌山県那智地方で採れる黒色の緻密な珪質(けいしつ)粘板岩。
碁石などに使われる石なのだ。
那智黒というと今では黒飴の方が有名なのだが、黒飴の那智黒はそもそもこの碁石を模して、那智のお土産として製造されたもの。
昔は那智黒の碁石のほうが有名であったわけだ。
ほほ~、勉強になるなぁ。
四阿(あづまや)からの眺めはこんな感じ。
ここが大都会天王寺のど真ん中なんですよねw。
アオサギが羽を休めている。
実は茶臼山にはカワセミも飛来してくるのだ。
さて四阿(あずまや)を後に。
慶沢園といえば、あべのハルカスを入れた撮影が定番。
ちょっとしつこいけど・・・
ハルカス、ハルカス、ハルカス。
まわりのビル群が全く写りこまない場所もある。
水面に映る緑も鮮やか。
やはり慶沢園は夏真っ盛りに訪れるのがベストかな。
以前、冬に訪れた時とは全然印象が違う。
蚊が多いので注意。との案内があったけど、
ここまで暑いと蚊も出ないのかな。
蚊は全然気にならなかった。
多分、慶沢園の存在は知っているけど、園に入った事がないって人は多いんじゃないかな。
今、大阪市立美術館で浮世絵展が開催されているけれど、その帰りにちょっと寄ってみてはどうでしょう。
って事で今日はこれまで。
ではでは。