毎年元旦の朝は氏神様へ初詣をするのが習慣な私。
年が明けて、目が覚めて、まず初めに氏神様のもとへ詣で、無事に年を越せましたことに感謝を申し上げる。
なんだかそれが日本人としての礼儀というか振舞いというかそんなことを思い込んでいたのだが・・・
どうやら一般の人が元旦に初詣に出かけるという風習が広まったのは明治中期以降のことらしい。
鉄道などの交通網の発展とともに初詣の風習が一般化したとのこと。
まぁそりゃちょっと遠方の神社に行くには電車か車がないといけないわな。
なるほどなぁ。
江戸時代に元旦から歩いて丸一日かけて初詣に出かける時間的な余裕がある人なんて一般人じゃないだろうし・・・
これがまたバレンタインデーにはチョコレート的な企業PRから広まったというのが意外で面白い。
明治中期は初詣とは言わなかったらしいだ。
当時は元旦に恵方のいい神社にお参りする恵方参り主流。
鉄道会社各社は恵方参りのPR合戦をおこない、サービス競争、宣伝競争となるわけです。
それゆえ広く一般に元旦参りが広まっていく。
が、恵方は毎年変わるもの。
関西の鉄道会社各社はめいめいに、「うちが恵方じゃ。」「いや今年はうちが恵方じゃ」「いな、本当の恵方はわしじゃ」
なんて各社が恵方だと宣伝し始めたために、なんかもうむちゃくちゃだわ。
毎年かわる恵方が宣伝をやりにくくしていると鉄道会社。
恵方に関係なく、元旦にお参りをすることを初詣とPRの言葉を変えたわけだ。
で、大正時代にはこの初詣が広く使われることになったのだとか。
まぁ要するに、鉄道会社が利用者を増やすために宣伝をした結果、今では日本の風習として定着しちゃったって感じ。
さて、気になるのはコロナ禍である令和3年の初詣。
寺社仏閣では密を避けるために12月、1月、2月の初詣を推奨。
って12月って年開けてないじゃない。
どうやら年が明ける前に初詣をすることを幸先詣(さいさきもうで)というらしい。
そんなの聞いたことがない。
ネットで調べてもそんな言葉はヒットしないんだけど・・・
もしかして、大正時代に「恵方参り」から「初詣」と言葉が変わったように・・・
幸先詣もコロナ禍ゆえに生まれた言葉なのか・・・
いや~幸先詣でなんて言葉知らんかったわぁ。
なんかこんな感じで風習って徐々に変化をしていくものなのだなぁと。
ちょっと感慨深い一日だったわ。
ではでは。