さてさて、今日は三重県松坂市へ。
日本列島に寒気が流れて来るとの事でしたが、昨日まで20℃越えの陽気だったので、そこまで気温は下がらないだろうと思ったのですが・・・
めっちゃ寒いですわ。
しかも強風だし。
ということで、かなり悲壮感漂う感じでここまで来た。
- まずは蓮(はちす)ダムへ
- 天然温泉のある道の駅「飯高駅」
- 新日本歩く道紀行100選「歴史の道」認定、珍布峠(めずらしとおげ)ウォーキングを満喫する。
- さて、お目当ての珍布峠(めずらしとおげ)へ。
- 国分伝説とは・・・
- 帰りに 沈下橋で記念撮影。
まずは蓮(はちす)ダムへ
この独特なフォルムの階段がインパクトあるなぁ。
まるで巻貝のようだわ。
とりあえずバイクを停めて記念撮影。
巻貝のような階段を登って行くと、ダムを見おろす展望台へ。
うーん、こりゃなかなかの見晴らしだこと。
って思いながらも凄い風でめちゃ寒いんだけど。
ちなみに蓮ダムとは・・・
蓮ダムは、三重県中部を東西に流れる櫛田川水系の上流(三重県松原市飯高町森地先)において1991(平成3)年に竣工し、管理を開始。
櫛田川は、三重県と奈良県吉野町の県境にある高見山(標高1,249m)に発し、蓮川などの支流を合わせながら東流し伊勢湾に注ぐ、幹川流路延長87㎞、流域面積436k㎡の一級河川です。
上流域の年間降水量は約2,700㎜を超えています。
蓮ダムは、大雨や台風による災害にたびたび見舞われてきた櫛田川流域の安全を守るほか、水需要に備える、河川環境の維持、放流時の水の落差を利用した発電などを目的とした多目的ダムです。
あまりに寒いのでそろそろ移動しようかと、バイクに乗ろうとした時。
先に来ていた年金世代のおっちゃん3人組が話かけて来た。
おっちゃん「どこから来はったん?」
私「大阪からです。」
おっちゃん「へぇ~。私らな、35年前にこのダムの基礎工事をしてたんやぁ。」
私「そうなんですか~」
おっちゃん「死ぬ前にもう一回来て見たかったんやぁ。」
私「へぇ、思い出の場所なんですね。」
おっちゃん「そうなんやぁ。あそこに見える管理棟あるやろ。あの管理棟の前に当時は飯場があってなぁ~。なつかしいなぁ。」
私「ダム建設って大変そうですね~。」
おっちゃん「でも私ら基礎しかしてんからなぁ。」
おっちゃん、仲間に向かって「おーい、ちょっと上の方までいってみようやぁ。」
そう言って車に乗り込むと・・・
「ほんじゃまたなぁ。」って私に向かって手を振る。
私「またなぁ~。」って今度は何処で出会うのだろう。
そんなことを思いながらも、定年後に自分たちが携わった仕事の足跡を訪ねるおっちゃん達でなんか素敵だなぁ。
うん、おっちゃん達の仕事は35年後の今でもしっかりと社会に活躍しているよ。
そんなことを実感しに来たんじゃないかなぁ。
ちょっとキュンです。
で、私はダムの真下へと移動して。
吊り橋のど真ん中からダムを眺めようと吊り橋を進むのだが・・・
強風で、吊り橋のワイヤーがビョーと変な音をたてている。
いやいやこりゃまた立派なダムだこと。
天然温泉のある道の駅「飯高駅」
道の駅へと向かう途中で見つけた絶景。
国道166号線から眺める櫛田川の眺め。
だいぶ陽が照って来たけどそれでも寒い。
ああぁ~温泉入りたいなぁ。
で、やってきたのは三重県松坂市にある道の駅「飯高駅」
この道の駅には天然温泉もあったりするんだけど。
時間がないので温泉は我慢だな。
とりあえず腹ごしらえで道の駅のレストランへ。
注文したのはなめこそば。
松坂牛とかもあったんだけどささっと食べれるものでお腹を満たす。
この後ウォーキングコースを歩くつもりなんだよな。
新日本歩く道紀行100選「歴史の道」認定、珍布峠(めずらしとおげ)ウォーキングを満喫する。
さて、今日の目的はここ珍布峠(めずらしとおげ)。
国分伝説の史跡を巡る和歌山街道を散策です。
なんでも新日本歩く道紀行100選なんだとか。
めずらしって何がめずらしいの?
国分伝説って何?
ってなるのでしょうけど、それは後ほど・・・
屋か山街道は道の駅「飯高駅」から5~6㎞、1時間~2時間程度のお手軽なウォーキングコース。
アップダウンが少ないんだけど、自然と歴史を満喫できるのだとか。
その昔、三重県松坂と和歌山を結ぶ街道で、江戸時代には紀州藩主の参勤交代の道として、また伊勢神宮への参詣道として大変賑わったのだとか。
道の駅「飯高駅」より、まずは住宅地を進む。
住宅地を抜けると川沿いの山道へ。
まず初めにあるのは「木戸の一軒家」
かつてこの場所には木戸の一軒家という茶屋があったらしい。
旧瀧野村 西の出入口に当たり、実際に開き戸のある門(木戸)があったわけではないが、一軒の茶屋があってワラジや駄菓子など売っていた。
ここから谷出までは人家がなく、道行谷に沿って松並木が、道行く人々を慰めてくれたが、度々の道路改修と戦時中に松は一本も残らず切り倒され、現存しない。
とのこと。
街道沿いを流れる小川に目をやると、サッサっと葉っぱの影に逃げる魚影が・・・
なんの魚なんだろう。
けっこうたくさん泳いでいる。
デタラメにカメラを向けて撮影したのだが、それなりに魚影をとらえることができた。
体長10㎝あるかないかってぐらいの魚。
道はどんどん杉林の中へ。
さて、第二ポイント。
死人谷。
って怖い名前だなぁ。
この谷の少し上で、谷水を飲む様子で、その後死んでいた行倒れがあったが人通りが少なく、長い間、気が付かなかった。
後に村人は無縁仏として葬ったが、この谷は誰云うとなく「死人谷」と嫌った。
んだそう。
続いて第三ポイント。
道行谷。
櫛田川の支流、この谷川を道行谷、この土橋を道行橋という。
何ともロマンチックな名で吉野を逃れた「源義経と静御前が通った」という古老の話も、知る人は少なくなった。真偽のほどは定かでなくても公法の土の「道行谷」の地名と、云い言い伝えは残したい。
ほほう。吉野落ちの源義経と静御前がこの道を通ったというのは何ともロマンチックな話だなぁ。
っていうか義経って吉野の道を結構歩き回ってんだなぁ。
で、第四ポイント。
この地に石灰爺さんが住んでいたらしい。
此処に生国も身寄も名前も定かでない、一人暮らしの老人が住んでいた。
何処で習い覚えたか、山から堀出した石灰岩から石灰を作っていた。
時折里へ出て、米・味噌を買い、お酒を飲むと
「蝶がムカデに惚れ、何で惚れたかと問うたなら、お足の多いのに惚れました」
上機嫌に浪曲を語って村人の人気者であった。
この石灰爺さんも昭和の初め頃から何所に行ったか誰も見かけなくなった。
なんだかまるで妖怪図鑑のようだな。
民俗学的な情報がなかなか面白い。
石灰を売り歩く浪曲好きのおっさんが昭和の初め頃までこの地に居を構えていたんだなぁ。
さて、お目当ての珍布峠(めずらしとおげ)へ。
さて、道の駅から歩くこと約20分程度でお目当ての珍布峠(めずらしとおげ)が見えてきた。
大岩を手掘りで切り通したすごい街道。
いつ誰がどのようにして切り通したのか。
現在では絶対にやらないであろう、古道ならではの光景がたまらない。
こりゃなかなか珍しいぞ。
ってことで珍布峠なんだろう。
珍布峠・礫石
此処は古道紀州街道の本道である。
国分け伝説に言う
珍布峠は、この道沿いの山の上にあり、礫石は下の櫛田川の中ほどにある巨岩である。
古道は山の峠を越し、下の常夜灯の付近で赤池の里道を谷出の方に進み間もなく現在の本道に合流する。
何か説明が淡泊だなぁ。
国分伝説とは・・・
さて、珍布峠を下ると、ウォーキングコースは櫛田川沿いへと。
ここに国分伝説の由来があるわけだが。
その昔、天照大神が白馬に乗って珍布峠(めずらしとおげ)にやってきて、国境を訪ねたところ、天児屋命(あめのこやねのみこと)が現れ、「この下の堺ヶ瀬が伊勢と大和の国境」と答えた。
天照大神は。「この境は疑わしい。」と言い。
大石を川の中に投げ入れ、波のとどまる所で決めることにした。
そしてそばにあった大石を礫のように投げ入れると、川の水は巨大な水柱となり、にわかに滝のように落下した。
その波は激しい勢いで逆流し、波は高見山にまで達した。
この日より高見山を伊勢と大和の国境と決めたそうな。
これが国分伝説なのである。
で、その時、天照大神が川に投げ入れた石礫というのがこれ。
そういわれると神がかった妙な形状をしている岩だなぁと見えてくる。
さて、そんな礫石を後にし、先へと進む。
いやいや、櫛田川ってほんと綺麗な川だなぁ。
夏にまた来たいわ。
帰りに 沈下橋で記念撮影。
さぁそろそろ大阪に帰らないと・・・
って家路へと向かう途中で 沈下橋を発見。
平松 沈下橋というらしい。
松坂市の 香肌峡のサイクリングスポットにもなっているよう。
バイクでツーリングしている人は誰も立ち寄らない感じだわ。
気付いてないのかなぁ。
それとも全く興味がないのかぁ。
沈下橋って今ではなかなか見られないからねぇ。
壊れて使われない沈下橋はこれまで何度か見たけれど。
ここの沈下橋はちゃんと渡れる。
バイクで渡って記念撮影とも思ったけど・・・
サイクリングスポットということはバイクはダメなのかなぁ。
そう思って歩いて渡ってみた。
で、こちらは沈下橋から撮影。
水面ギリギリで迫力あるなぁ。
で、せっかくなので沈下橋の上で独り記念撮影。
GRⅢを地面に置いて、フォーカスを∞に設定。
セルフタイマー10秒に設定して撮影。
これじゃ沈下橋の上でも普通の道路のアスファルトの上でも違いが分かんないじゃないか。
って感じだけど・・・
まぁしょうねいな。
ってことは今日はここまで。
ではでは。