- 奈良県五條市にある登録有形文化財 藤岡家住宅がめちゃ素晴らしい。
- 歌舞伎や人形浄瑠璃の演目「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」の重要文書が残っていた。
- 死した神をも蘇らせることが出来るという縄文時代から祭祀が行われる日本最古の神社の一つ国指定重要文化財 高鴨神社へ。
- 平城京跡で近鉄電車の撮影。
奈良県五條市にある登録有形文化財 藤岡家住宅がめちゃ素晴らしい。
さて、本日やってきたのは奈良県五條市。
ここにペリー来航、黒船到来の時代より商売をしていた庄屋屋敷が残っているとのこと。
その庄屋屋敷がこちら。
薬商、薬種商、両替屋などを営んでいた藤岡家住宅。
屋号は「大阪屋」。
江戸時代には傘屋であったことから地元では「かさ屋」とも呼ばれていたそうな。
玄関をまたぐと広い土間。
入館料は300円。
ここはモンベルのフレンドショップでもあるので、モンベルの会員証があると240円と少し値引きがあったりする。
土間を抜けると立派な梅の木があるのだが、この梅が樹齢250年とか300年とかいわれ、この梅の花を撮影に訪れる人も多いのだという。
残念ながらこの日はまだ2分咲きぐらいだった。
こちらは江戸時代末期に建造された貴賓の間。
客間へ続く襖には一対の虎の絵が描かれている。
こちらが貴賓の間。
貴賓の間の襖には琵琶湖の景色が描かれている。
案内いただいた方から、左から、○○山だとか、続いて○○の景観だとか丁寧に説明をしていただいたのだが、あまりなじみのない名前ばかりだったので覚えられなかった。
が、琵琶湖へとつながる景観を大パノラマで描かれたものだという事は分かった。
こちらは先ほどの貴賓の間のとなりに続く部屋。
立派な床の間が印象的。
貴賓の間の奥にあるのが茶室。
明かりのとりの障子が美しい。
で、茶室の南側に厠があるんだけど、ここまた素晴らしい。
こんな厠は滅多と見ることが出来ないだろう。
陶器に美しい柄が施されている。
また足を入れる陶器のスリッパみたいなものも珍しいよね。
で、小便器のとなりの美しい網代戸を開けると・・・
こんなぼっとん便所もきれいに残っているんだなぁ。
さて、次は貴賓の間から続く広縁。
広縁って何よ?
広縁とは幅を広く取った縁側のことなんですね。
広縁の右側には薬草などを育てた庭。
で左側は隠居部屋として使われていたという。
で、こちらが隠居部屋。
1853年に建てらたものとの事。
食事が出来るようテーブルが設けられていて、予約をすればここで仕出しのお弁当などが食べられるのだとか。
へぇ~登録有形文化財でゆったりと食事が出来るなんて素敵だわ。
隠居部屋からさらに広緑を進む。
右側のガラスの大きさがハンパないぞ。
このガラスは建設当時のガラスらしい。
なんとも広い大広間。
明治45年に建てられたもの。
なんでこんな大広間が必要だったのだろう。
明治時代、この家の藤岡家はこの地域の戸長だったそう。
戸長とは明治時代前期に区・町・村に設置された行政事務の責任者のこと。
村の会合などに利用するためこの大広間が必要だったのかもしれん。
大広間の奥にある小さな部屋。
薬商であった藤岡家はこの小さな部屋で、具合の悪い患者を診察し、薬を提供していたそうな。
さて、続いては隠居部屋から母屋へと続く廊下。
いやいやこの廊下すごい雰囲気がいいわ。
奥には階段があり、中2階へと続く。
中2階には約三畳ほどの書斎が。
ここは母屋と貴賓の間、茶房とを繋ぐ橋のような場所で、そこに見晴らしの良い書斎が設けられているのは面白い。
この屋敷の主であった藤岡長和は俳人として活動をしていたそうで、俳人の名を藤岡玉骨(ぎょっこつ)としていたとの事。
俳人としての交友関係は幅広く、かの与謝野晶子とも交流があったそうな。
いやいや何とも素敵な書斎だこと。
さて、中2階の書斎を抜けると。
母屋へと続く。
で、こちらは母屋の裏にある内蔵。
質屋もしていたらしく、質で預かったものをこの内蔵に保管をしていたそうだ。
内蔵の前には階段箪笥が・・・
内蔵の中は展示室となっており、薬商ならではものやら。
サイの角なんかもあった。
昔の生活道具なども展示されており、一つ一つ見ていくとかなり面白い。
カメラにも興味があったらしく、ガラス乾板などもあった。
そしてこちらが母屋。
1832年に建てられたそうな。
母屋にも古い道具が沢山展示されている。
このひな人形はどれほど昔のものなのだろうか。
歌舞伎や人形浄瑠璃の演目「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」の重要文書が残っていた。
藤岡家所蔵の茜谷(赤根屋)半七関連資料と茜染。
奈良県五條市新町通りにあった茜染の染屋の主、赤根屋半七と大阪の女郎である太夫美濃屋三勝が心中した物語。
なぜ、染屋で一生安泰であった半七が、大阪の女郎と心中せねばならなかったのか。
その半七の藤岡家に宛てた遺書が残されていた。
その遺書がこちら。
半七はどうやら親の代からの借金に悩まれていたらしい。
また女房であるお園は知り合いの今市義右衛門との浮気があり、その浮気相手から50両もの借金を掴まされ、逆上して今市義右衛門を殺害。
その罪を半七の代わりである父親がお縄となり、その親不孝を詫びて、三勝と心中したのだそう。
なんかすごい人生だなぁ。
いや~ここななかなか見応えあったなぁ。
ガイドさんも丁寧に説明をしてくれたし。
ここおすすめだわ。
死した神をも蘇らせることが出来るという縄文時代から祭祀が行われる日本最古の神社の一つ国指定重要文化財 高鴨神社へ。
さて、藤岡家住宅から車で約10分の場所。
いやいやここ初めて来たけれども、こんな御所市の平野にこんな神がかった場所があるなんて・・・知らなかったわ。
景色もいい感じ。
私が敬愛する楠木正成公の銅像があったりする。
で、高鴨神社の駐車場にある鴨神そばが食べったんだけど。
時刻は2時過ぎ。
そばは売り切れました。
だって。
そりゃ残念だわ。
食事はあきらめて、葛城景観資産のギャラリーで撮影スポットをお勉強。
で、家路に帰るにはまだ時間が早いので・・・
平城京跡で近鉄電車の撮影。
で、葛城からはずいぶんと離れているのだけど・・・
平城京跡までやってきた。
平城京跡の敷地内を走る近鉄電車を撮影しようかなぁと。
あまり車両には詳しくないけど。
ってことで今日はこれまで。
ではでは。