さて、明日から大阪は3度目の緊急事態宣言が発令。
デパートや大規模商業施設の休業が始まるということで、休業する前の駆け込みのお買い物で道頓堀へ。
家内との待ち合わせの時間までしばらく道頓堀界隈を散策した。
川沿いのリヴァーウォークを歩いていると、道頓堀の歴史を紹介したパネル展示があったのでちょっと紹介。
明治、大正時代の道頓堀の風景
こちらは角座前にて。
明治42年~43年(1909年~1910年)刊行の写真帖より。
大阪市立図書館 所蔵。
こちらは道頓堀。
明治35年(1902年)光村写真館撮影写真より。
大阪市立図書館 所蔵。
こちらも角座前にて。
明治40年(1907年)ごろ。
大阪市立図書館 所蔵。
手前に立っているのは警官なのでしょうか。
よく見ると「たばこ」「焼肉」という看板も見える。
こちらは千日前。
大正〜昭和初期。
大阪市立図書館 所蔵。
この地形から想像するに、左が現在のサウナ&カプセルAMZA(アムザ)で、右は現在のビッグカメラの場所なのかな。
こちらは中座前
大正8年(1919年)ごろ。
明治大正昭和の大阪写真集4「大阪府写真帖」より。
大阪市立図書館 所蔵。
角座前。
大正4年(1915年)
明治大正昭和の大阪写真集4「大阪府写真帖」より。
大阪市立図書館 所蔵。
角座前。
大正後半。
明治大正昭和の大阪写真集4「大阪府v写真帖」より。
大阪市立図書館 所蔵。
昭和の道頓堀の風景
往来華やかなる戎橋の美観。
昭和初期の絵葉書。
大阪市立図書館 所蔵。
写真に写っている5階建ての建物はなんの建物なんだろう。
道頓堀の景観。
昭和2年(1927年)ごろ。
大阪名所絵葉書。
大阪市立図書館 所蔵。
こちらも角座。
昭和4年(1929年)ごろ。
望東 明治大正昭和の大阪写真集5「大阪市産業大観」より
大阪市立図書館 所蔵。
「めがね」の看板などが確認できる。
江戸時代から道頓堀は浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座の道頓堀誤5座といわれ、芝居小屋で大いに賑わい、道頓堀通の南側に芝居小屋、北側に芝居茶屋が並ぶという構造がうまれた。
こちらは昭和7年頃の千日前の歌舞伎座。
大阪名所絵葉書。
大阪市立図書館 所蔵。
昭和初期の歌舞伎座ってけっこうモダンな建物だったんだなぁ。
こちらは戎橋。
昭和初期。
大阪歴史博物館 所蔵。
現在の「H&M」の場所にある建物に注目してみると・・・
「伊勢参り二時間」「西から登る信貴山ケーブル」など、現在の近鉄の宣伝が面白い。
道頓堀のネオン。
昭和初期。
大阪歴史博物館 所蔵。
グリコの看板が初めて道頓堀に設置されたのは昭和10年(1935年)。
道頓堀の賑わい。
昭和初期。
大阪歴史博物館 所蔵。
ここはどのあたりだろうか。
廣珍園という看板が見える。
こちらは道頓堀川。
昭和27年(1952年)
大阪歴史博物館 所蔵。
ライオンはみがきの看板が目立つ。
道頓堀橋。
昭和27年(1952年)
大阪歴史博物館 所蔵。
阪神競馬の大きな馬のバルーンが上がっている。
また奥にある「タカラミシン」の看板。
そんなミシンメーカーがあったんだ。
大阪歌舞伎座千日前の散水自動車。
昭和25年(1950年)ごろ。
大阪歴史博物館 所蔵。
これ、なんだと思う?
実はこれ、「楽天地」と呼ばれるレジャー施設で、1914年(大正3年)から1930年(昭和5年)まであったもの。
建物内には大劇場や小劇場があり、しかも地下にはメリーゴーランド、ローラースケート場、水族館などもあったそうな。
ほほう、そんなの初めて知ったわ。
で、この「楽天地」があった場所ってどこなの?
ってなるのですが、現在「ビックカメラ」があった場所。
私の時代でいうと「プランタン」があった場所。
もっと前でいうと、あの心霊スポットともいわれる「千日前デパート」があった場所。
そんな場所の地下に水族館があったとは・・・
こりゃ勉強になったわ。
こちらはアーケードが出来る前の千日前道具屋筋の風景。
こちらは戎橋の夜景。
昭和30年(1955年)ごろ。
大阪歴史博物館 所蔵。
「水虫、田虫にポポ」って何?
こちらは中座。
昭和30年(1955年)。
大阪歴史博物館 所蔵。
「いづもや」の看板がありますね。
戎橋の風景。
昭和28年(1953年)。
大阪歴史博物館 所蔵。
浪花座前。
昭和28年(1953年)。
大阪歴史博物館 所蔵。
小津安二郎監督の「東京物語」が上映されていたもよう。
千日前交差点。
昭和34年(1959年)。
大阪歴史博物館 所蔵。
道頓堀橋。
昭和35年(1960年)ごろ。
大阪歴史博物館 所蔵。
道頓堀。
昭和30年(1955年)ごろ。
大阪歴史博物館 所蔵。
中座前。
昭和30年(1955年)。
大阪歴史博物館 所蔵。
喫茶グリル白水、焼肉料理明月館などの看板が確認できる。
道頓堀川。
昭和30年(1955年代)。
大阪歴史博物館 所蔵。
セイコーの看板が目立つ。
中座前。
昭和40年(1965年)。
大阪歴史博物館 所蔵。
カネボウや南紀椿温泉の看板が。
中座前。
昭和40年(1965年)。
大阪歴史博物館 所蔵。
女学生らしき人も多い。
道頓堀川。
昭和40年(1965年代)ごろ。
大阪歴史博物館 所蔵。
菊正宗、ブラザーミシン、カルピスなど、現在でもよく聞くブランドの看板が出てきた。
が、酒は富久娘というのは私は知らない。
ミナミ道頓堀橋。
昭和35年(1960年)ごろ。
大阪歴史博物館 所蔵。
道頓堀の賑わい。
昭和43年(1968年)ごろ。
大阪歴史博物館 所蔵。
ようやくかに道楽の看板が現れた。
道頓堀の賑わい。
昭和40年(1965年)ごろ。
大阪歴史博物館 所蔵。
「ピカソパステル」って何よ。
近代的油性化粧?
道頓堀の賑わい。
昭和40年(1965年)ごろ。
大阪歴史博物館 所蔵。
道頓堀の賑わい。
昭和41年(1966年)ごろ。
大阪歴史博物館 所蔵。
ミナミまつり・とんぼり座。
昭和59年(1984年)ごろ。
大阪歴史博物館 所蔵。
ようやく私が生まれた後の道頓堀の風景。
現在の道頓堀の風景
「不滅のミナミ」って誰が広告を出したのだろうか。
ほほう、道頓堀にくら寿司が4月22日にオープンしたとの事。
これまた凄い派手な広告だこと。
で、行ってみると。
あらまぁ。
こりゃまた道頓堀の一等地に大きなくら寿司が・・・
コロナ禍でインバウンド需要がない道頓堀の景色もかなり変わって来たなぁと。
明治、大正、昭和と変貌を遂げて、今また道頓堀の景色が変わりつつある。
なんかそんなことを感慨深く感じた今日この頃です。
ではでは。