暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

世間が多様性に寛容であれば無差別殺人は減少するのか。消滅した村に残させていた風習によって起こった奈良県月ヶ瀬村事件。

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先日起こった小田急線の車内で男が複数人刺すという事件。
犯人は女性から見下されたとか、自分だけが不幸だったとか、世間にうまく馴染めなかった不満を動機に他人に危害を加えるのはあってはならないこと。

概ねの人は被害者に感情移入をするのだろうけど、私は加害者のように世間にうまく馴染めない人に対する社会問題もあるのだろうなぁと思ったわけだ。

特にADHDとかは社会に適合するのが難しい。

で、この事件を知って、奈良県月ヶ瀬村で起きた不幸な事件を思いだした。

 

1997年の奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件。
村八分にされた男が村の女子中学生を殺害するという事件。

この事件、今は無き月ヶ瀬村に残っていた古い風習が影響をしていたという。
犯人は日本人と朝鮮人の両親を持つ当時25歳の丘崎誠人という人物。


父親はダムの建設現場で労働者としてまじめに働いていたそうで、子どもは5人兄弟、1家7人を支えていた。

そんな丘崎家が月ヶ瀬村へと引っ越してきた。
引っ越し先の住居は村人が物置小屋という呼ぶ建物でトイレや風呂はなく、ネズミが沢山でたそうな。
ちなみに家賃は1万円。
とても平成の日本の話とは思えない。

さらに、この村には平成の世にはそぐわない「与力制度」が残っており、五人組と呼ばれる五戸単位でリーダーが決められ常時連帯責任で村の秩序を守るというもの。

村の組合に入るには二人の与力に推薦をしてもらう必要があるらしく、また月ヶ瀬村は自然に囲まれた小さな村で外部からの人の出入りがほとんどないことから、朝鮮人に対する風当たりがかなりきつかったそう。
二人の与力に推薦をしてもらうことが出来ないにも関わらず組合費だけを支払っているという状態。

当然、丘崎家は組合に参加することなく村八分となり、村の公共施設などの使用が出来ず社会から断絶されることに。

そして、丘崎少年が小学校3年生の時に、公民館が全焼する火事があったのだが、丘崎少年が放火をしたという噂が村中に広がり、その後村で何か不祥事がある度に、丘崎家の人々が犯人だと思われていた。

子供を持つ村人は、自分の子どもに丘崎誠人には関わるなとさんざん言って聞かせていた。

丘崎誠人は完全に村で孤立し、不登校となる。
そして中学卒業後、月ヶ瀬村を出て、大阪、東京と就職をするものの長続きせず、失敗して少し叱られると、幼少の経験から自分は嫌われているのだと思う癖がついていた。

その後、月ヶ瀬村に戻って、何度か就職するもののどれも長続きはせず、やがて働くこともしなくなり、月ヶ瀬村でその日その日を適当に暮らすことに。

そんな彼がどういうわけだが1997年に車を購入。
購入して2か月後、村で車を走らせていたら、窓の向こうに顔見知りの少女が自宅に向かって歩いているのが目に入った。

少女の自宅まではまだ遠く、坂道もある事から、親切心からか、もしくは自分の車を自慢したいからなのか、歩く少女に向かって「送っていこうか」と声をかける。

しかし、少女はその丘崎誠人の声を無視して無言で歩き続ける。

年下の少女にも無視をされた丘崎誠人は長年、村人から相手にされなかった不満が一気に爆発に少女に車ぶつけて、そのまま連れ去る。

そして山中で少女を殺害し、そのまま放置して現場を去る。

少女が家に帰宅しないので母親が通報し、奈良県警が捜索を始めるわけだが、
小さな村で少女を行方不明となると、村人はすぐさま丘崎誠人が犯人だと。

その後、現場に残されたタイヤ痕、車から血痕が発見され、少女のものと一致したことから丘崎誠人逮捕。

逮捕後、丘崎誠人の自供から少女の変わり果てた遺体を確認し事件は終結に。

その後の裁判で犯人が村八分の差別を受けていたこと。
月ヶ瀬村の与力制度の事などが世の中の明るみになったわけですが・・・

それによって刑が軽くなることはなく、無期懲役となったわけです。

丘崎誠人は刑を認め、大分刑務所に入るわけですが、その1年3ケ月後の2001年9月。
刑務所で自決。
遺書はなく、動機は不明のまま。


この事件、根本的に村の秩序を守ったようで守れてない。
厳しい村の秩序によって村に被害が起こった感がしこりのように残る事件。

 

なんだか世の中につまはじきにされた跳ね返りが世の中に帰ってくるという。
そんなことを想像する事件でした。

世の中の仕事が複雑化している時代。
世の中に不満を持つ人も多いことでしょう。

そのことから起きる事件・事故を今の世の中に不満を持った人のせいと、変化する世の中に適用できた人達だけが社会に適用できなかった悪者と批判するのもどうなのか。

いやそりゃ不満を他人にぶつけるのは良くないことですよ。
でもそれを苦にして、日t知れず自死する人も多い世の中ですからね。

はたして本当に社会にとっての善悪とは。
そんなことを考える今日この頃。

ちなみに奈良県月ヶ瀬村は2005年に奈良市に編入され奈良市月ヶ瀬となり、月ヶ瀬村という名称はなくなった。
ではでは。