暮らしの顛末(くまくまコアラ)

40代サラリーマン、Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

高松塚古墳の壁画はどのように劣化していったのか!失敗続きの文化庁の保管修復プロジェクト。

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高松塚古墳の壁画発見当時のエピソード

高松塚古墳が発見されたのは1972年3月。
私が生まれた年の出来事なので、壁画発見後の日本の古代史ブームという現象をうっすらと覚えている。

1972年3月27日、全国紙の一面トップにこの壁画発見のニュースが報じられ、今世紀最大の発見として、日本全国に報じられ大騒ぎとなった。

3月1日から高松塚古墳の調査が始まり、3月11日、現地で発掘指導を行っていた網干善教氏が盗掘穴から覗いて壁画を見つけた。

1300年前とは思えないほど、保存状態がよく、鮮烈な彩色、描線も鮮明で価値が高い。

そう判断した調査班は装飾古墳撮影の経験豊富な写真家を呼び、3月21日と22日に石室内の壁画を撮影。

日が経つにつれ、調査班はマスコミに察知されるのを恐れた。

この世紀の大発見をどこかのマスコミ1社の独自取材で小さな記事で発表されることを恐れた。

そこで、記者クラブに行って、26日に明日香村で記者発表を行うので、各社集まってほしいと連絡を入れることにした。

それを記者クラブに伝えに行った第一発見者の網干氏。

奈良県橿原市の記者クラブの人達は考古学の記者発表に関心を示さなかった。
当時、橿原市長選の選挙日前日ということもあり、選挙戦の取材で忙しかった。

そこで網干氏は「ニュースは奈良のニュースだけじゃないでしょう、全国一面もあるでしょうに。」

そこで記者たちは色めきたった。

「しかし、考古学の記事が一面を飾ったなんてこれまで聞いたことがない。」
そういって部屋を出る記者もいたのだとか。

そこで、記者クラブの幹事社が・・・
「大きなニュースの場合は事前に取材の準備が必要なので、お互いに発表内容を事前にレクチャーをするのが通常。」と・・・

そこで網干氏は事前に撮影現像をしておいた壁画の写真を記者に見せた。
これが明日香村の高松塚という古墳から見つかった壁画です。と

記者たちは身を乗り出して写真を眺めた。

「それでは明日、記者発表をさせていただきます。今日はこれまで。」
と網干氏が立ち上がったと同時に、記者たちは各々、電話に飛びついたのだとか。

で、記者発表の翌日27日。
各社新聞一面をセンセーショナルに飾る高松塚古墳の壁画のニュースで日本が沸き立ったという。

前代未聞の壁画の保存を託された文化庁。

世紀の発見をした調査班は「これだけの貴重な文化資料を1学界・1研究グループが担うにはあまりにも与えられた課題・責任が大きすぎる。」と判断。

これまで蓄積した資料を公開し、調査研究を文化庁へと託した。
もちろん、国に託したのも、この貴重な壁画の完璧な処理を期待してのことだった。

4月6日には古墳の管理は文化庁に移り、高松塚古墳応急保存対策調査会が設置された。

調査員が石室内部へと入り、壁画の保存状態を確認する。
何度も石室内部へと人が出入りするたびに、1300年の眠りから目覚めた石室内にはカビや微生物の活動が徐々に活発となっていった。

壁画発見当時からカビや微生物による損傷を危惧する専門家もいたが、壁画の漆喰の劣化が重視され、カビへの対策はあまり重要視されなかった。

続いて文化庁は1972年7月に「高松塚古墳総合学術調査会」を設置。
どのように保存をしていくのかその方針を決めるための調査会である。

古文書や仏像の修復のノウハウはあるが、湿度90%の石室の漆喰に描かれた壁画の保存は前代未聞。

文化庁はフランスの洞窟壁画の保存経験を持つ人物を呼び寄せたり、調査員をイタリアへ派遣し、どのように壁画が保存され、壁画の修復が行われているのかを実際に確認させたりもした。

検討した結果、高松塚古墳の壁画を他の場所に移すのではなく現地の石室内で保存する方針に決定。

そのために石室前に保存施設を建設することにした。

高松塚古墳の保存施設が完成した事で安堵感が生まれた日本。

1976年3月に保存施設が完成。
石室の前に3室の前室を設け、外気が石室内部に入らないよう厚さ65ミリの二重扉。
さぞ最新技術が整った保存施設で、石室内部の湿度、温度が管理されているのだろうと勝手に思っていたのだが・・・

実際は単純に外気を石室に入れないため、前室の扉を閉めて、次の前室の扉を開け、また次の前室へと向かう事により、石室内への外気の影響を防ぐという単純なものだった。

それでも当時の関係者たちは最先端技術が導入され、急激な環境変化を防ぐ性能の高い管理施設だと言っていたようだ。

この施設が出来たことにより、修復作業が進むとあってか、修復作業は年4回、1回あたりの修復期間は2週間と頻繁に人が石室に出入りすることになった。

そのころからカビの発生量が増え、これまで検出されなかったカビの種類まで見つかることに。

80年には日を追うごとにカビの発生量が確認されるようになり、のちに「昭和のカビの大発生」と呼ばれる。

この事態を危惧した文化庁はその後、修復による人の出入りを年1回へと縮小している。
そのためか2000年頃までは一時的にカビの発生が小康状態となった。

平成のカビの大発生事件。

2003年3月、文化庁が高松塚古墳でカビが大量発生したとの発表があった。
石室内にはムカデやワラジムシの死骸なども確認され、虫が通れるほどの穴や水が浸入している可能性があること、また石室と保存施設の間の取り合い部の土が崩壊し、崩落防止工事をしたところカビが発生したと明らかにした。

その後、マスコミの調査で、崩落防止工事の作業員がタイベックスなどの防護服を着用していなかったこと。
また、保存施設の扉が開け放たれていたことなどを追及する。

当時、保存施設のカビ対策ルールが一貫しておらず、石室の扉が閉まっているのであれば防護服の着用は必要ないとか、ちょっとした道具を取りに行くだけであれば防護服は必要ないとか、各々の解釈がなされ、徹底をされていなかったそうだ。

さらに、ずさんな管理が。
高松塚古墳の墳丘部は文化庁の記念物課が管理し、壁画部分は美術工芸課が管理をしている。
当然、保存施設の間の取り合い部の落防止工事は記念物課が管理することになるのだが、当時、保存施設に出入りする鍵は美術工芸課が管理をしており、鍵当番という事で美術工芸課が工事の立ち合いを行ったのだという。
その際、作業員が防護服を着用していないことに指示をすることもなかったのだとか。

また、工事完了確認にも記念物課は現地確認をしていなかったそうな。

その後、大量のカビが発生し、これを「平成のカビの大発生」という。

ついに高松塚古墳の壁画の劣化がマスコミに報道される。

文化庁は高松塚古墳の壁画発見から30年が経つにあたり、2004年に現在の高松塚古墳の壁画の写真集を発刊した。
価格は18000円で街の書店などに並ぶようなものではない。
壁画の劣化を長年危惧していた記者が、事前にその写真集を入手し、見てみるとかなりの劣化に愕然とした。
裏を取るために、発見当初の関係者数人にも写真集を見てもらったが「ここまで劣化が進んでいたとは」とみな一様に落胆したのだそう。

そこで2004年6月20日の朝刊一面に「白虎消失」というセンセーショナルなニュース。
文化庁へは苦情の電話が鳴りやまなかったとそうな。

国に管理を委託して、屈指の専門家の管理のもと、厳格に保存がなされているものと思っていた古代ファンは、もはや描線が消えかけた白虎の姿、また飛鳥美人の発見当初の色鮮やかさが失われ、くすんだ色、カビの劣化に驚いた。

とはいえ写真集には30年経った今でも色褪せることなく保存されておりますと記載されていたそうな。

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発見当初の壁画。

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カビで劣化した壁画。

結局、石室は解体されることに。

専門家曰く、まったくの無菌状態にするしか方法がなく、外気にさらされる古墳石室内では発見当初の状態を保つのは無理があり、発見された時からカビの混入、活性が始まっていたという結論に。

2005年にキトラ古墳の壁画をはがすことに成功したという前例もあることから、とうとう石室を解体して壁画をはがして保存する方針を決定。

2007年にすべての壁画をはがすことが完了。

2020年、文化庁がすべての壁画の修復が完了したと発表。

引き続き文化庁が保存管理が行われており、年に数回の一般公開が行われている。

まとめ

発見当初に写真撮影をしたカメラマンはいう。
「まるで今描かれたみたいな生生しさだ。」
しかしながら違和感があったという。
正倉院の宝物を撮影する際は作業着やら機材やら消毒積みのものを使用するのだとか。
それでも正倉院の人たちは人が持ち込む雑菌や微生物で宝物にカビが生えないかと心配しているのだとか。

高松塚ではそれほど気が配られてなかった印象なんだとか。

前代未聞の壁画の保存に関して、もっと複合的な経験を活かせなかったのか。
刻々と劣化していく現状に対してその場療法が最善策として実施されていたのだなぁと

石室解体が決定される前には石室にムカデがはっていたこともあったそうな。

これは前代未聞の保管プロジェクトであってバタバタするのも理解は出来る。
この経験は今後に生かしてほしいと思う今日この頃です。

ではでは。