まだ子供たちが小学生だった頃の話。
午後8時ごろ、夕飯の支度をしている我が家の玄関のチャイムが鳴った。
玄関のドアを開けてみるとそこには小学校の教頭先生と他クラスの先生が立っていた。
何事かと玄関先で話を聞くと生徒の個人情報と成績表を紐づけたデータが入ったUSBメモリーを噴出したとの事で謝罪に来たのだという。
私は今の時代、個人情報なんて本気で調べれば誰でも知ることが出来るだろうという考えなので、たかだかUSBメモリーを無くしたぐらいで生徒の家を一軒一軒謝罪に回るという虚無な時間を使うよりもっと有意義の時間を使ってもらいたいと思ったと同時に、
きっと誰も興味のない己の家族の個人情報に過敏に価値をつけて鶏のごとくコケコケコケコケと文句を言う保護者がいるんだろうなということが謝罪する先生の顔色から想像が出来る。
USBメモリーを無くしたぐらいで思いつめないで・・・
そう思った私は「まぁそう気を落とさずに早く見つかればいいですね。」
「うちの子の成績なんて誰も興味ないでしょうから」
そういって先生を励ましたつもりであったが・・・
その2週間後、先生が自害をしたこと知った。
これなんなん!
個人情報が入ったUSBを無くすと自害をするまで追い詰めるわけ・・・
ほとんどの人が興味がない個人情報なのに。
担任の先生ではなかったんだけど子供たちはかなりのショックを受けたみたい。
私はいいようのない無念さがあった。
ほとんどの人が興味がないであろう個人情報の価値が命の価値を上回った。
なんて馬鹿な社会になってしまったんだ。
先生を殺したのはきっと保護者だ。
記憶から忘れ去れようとしていたこの過去の経験が、今回の兵庫・尼崎市 紛失していた全市民46万人分の個人情報が入ったUSBメモリー紛失事件でよみがえった。
確かに個人情報は守られないといけないが、人間だれしも失敗はある。
その一度の失敗で凶悪犯のごとく報道され、自殺にまで追い込むのは社会善なのであろうか。
私は言いたい、極端だがあなたの個人情報を守るために人を殺していいわけない。
そこまで追い詰めるか?
っていうことが今日言いたいこと。
ではでは。