暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

大阪の珍スポット。80年ぶりに発見された旧大阪鉄道亀瀬隧道。かつては1日に2万人の見物客が訪れた亀の瀬地すべりへ。

亀の瀬地すべりの歴史

亀の瀬

さてさて、今日は大阪の珍スポットである柏原市の亀の瀬地すべりへ。

亀の瀬地すべり

で、こちらは現在のJR大和路線。
大和川を渡る鉄橋なんですが旧大阪鉄道の亀の瀬トンネルが地すべりで崩壊したため、現在のように亀の瀬を避けるように大和川を渡るルートに変更された。

亀の瀬地すべり

そしてやってきたのが亀の瀬地すべり資料室。
ここで日曜日・祝日のみ予約不要の無料定時ツアー【所要時間60~90分】が行われており、ボランティアガイドさんが丁寧に説明をしてくれるのだそう。

亀の瀬地すべり

10時45分からガイドツアー開始とのことで、まずは映像を見てお勉強。

亀の瀬地すべり

資料室には模型やパネルなどの展示物があり、亀の瀬地すべりの歴史なども学ぶことができる。
こちらは亀の瀬地すべりのジオラマ模型。

地すべりってさぁ。
土砂崩れみたいに一気に山が崩れるんじゃないんだよ。
1日に20㎝~30㎝ほど地すべりが起こり、なんと1年で30mも山がすべり崩れるらしい。

ここ亀の瀬では明治36年、昭和6年~8年、昭和42年と過去3回も大きな地すべりが起こっており、これが大阪、奈良に甚大な被害をもたらすとのことで国が動いた。

通常ならこのような地方の災害土木事情は地方自治体の予算で行われるのが普通なのだが、亀の瀬地すべり対策の工事は異例の国家予算で行うという力の入れ込み。
その規模は世界最大級の対策工事となった。

1962年(昭和37年)に対策工事が始まり、2011年(平成23年)3月、約50年にも及ぶ工事が完了。

ではなぜそこまでして亀の瀬地すべりを防止したのか!
その理由は・・・

亀の瀬地すべり

この場所の前には大和川が流れており、奈良側の156本の河川の水がこの大和川1本に集中する。
そこに地すべりが起こると大和川は土石で塞き止められ土砂ダムが出来る。
流れてきた河川の水は逆流し奈良盆地が水没するのである。

また・・・

亀の瀬地すべり

河川の水があふれると今度は土砂が水量に耐え切れず土砂ダムが決壊。
水没した奈良側の水が土石とともに大阪平野へと流れ込む。
すると今度は大阪平野が水没するという災害が起こるんだな。
いろんな要因が重なった珍しい場所なんだな。

大阪が水没するとその被害は日本にとってもデメリットが大きいと考えたのだろう。
どれだけの国費が投じられたのか調べてみたがその情報は見つからなかった。

亀の瀬地すべり

で、こちらが実際に昭和6年~7年に起きた地すべりで水没した奈良の状況。

亀の瀬地すべり

写真のように1日、1日と20㎝~30㎝ほどゆっくりと地盤がすべり落ちる。
昭和6年に起きた地すべりでは、海外から研究者が沢山訪れたそうな。
それほど亀の瀬地すべりは世界的にも稀な場所だったのだそうだ。

亀の瀬地すべり

亀の瀬地すべり

昭和7年には「地すべり災害見物ブーム」が起こり、なんと1日に2万人もの見学客が亀の瀬地すべりに押し寄せたとのこと。
野天カフェが出現したり、貸切列車も出てたいそう賑わったそうな。
当時はテレビもない時代なので、地すべり見学記念絵葉書などを販売しPRしていた。

亀の瀬地すべり

亀の瀬地すべり

これが当時の亀の瀬地すべり災害見物ブームの写真。
まさに今、足元の地盤が少しずつ地すべりしている場所をのんびり歩いて大丈夫なのだろうか。
2万人の人の重みで一気に地すべりが起こったりしないのだろうか。
今の時代なら完全に立入禁止エリアにしているのだろうが、当時はおおらかだったんだな。

排水トンネル工を見学

亀の瀬地すべり

さて、一通り亀の瀬地すべりを学んだところで今後は排水トンネル工を見学。
亀の瀬地すべりは固い溶岩の岩盤の上の粘土層に雨水が大量に浸み込むことで起きる。
そこで地下に雨水を排出する大小様々な排水管を張り巡らして地すべりを防止している。

亀の瀬地すべり

このような排水トンネル工が1号抗口から7号抗口まである。

亀の瀬地すべり

亀の瀬地すべり

この排水トンネル工には集水ボーリングという小さな管が蜘蛛の巣のように伸びており、集水ボーリングの数は3900本、147㎞にも及ぶ。
集水ボーリングを通ってきた雨水がこのトンネルに集まり排水をするという仕組み。
ようするに亀の瀬の地面の下には無数の管が通っているということだ。

亀の瀬地すべり

亀の瀬を下を無数の排水トンネルが掘られているからかなりの距離だ。

亀の瀬地すべり

亀の瀬地すべり

亀の瀬地すべり

ここでトンネルが2つに分かれるようだ。
まるで昔の炭鉱のように無数に枝分かれしている。

亀の瀬地すべり

亀の瀬地すべり

排水トンネルが見学できるのはここまで。
トンネルの入り口から500mぐらいは来ただろうか。
しかしトンネルはまだまだ続いている。

亀の瀬地すべり

地下水がポタポタと天井から落ちてくる。

亀の瀬地すべり

見上げると地上と繋がっているようだ。
こちらは集水井と呼ばれるもの。
地下水を集めた集水ボーリングがこの集水井で集められトンネルへと流れる。

亀の瀬地すべり

亀の瀬地すべり

80年ぶりに発見された旧大阪鉄道亀瀬隧道へ。

亀の瀬地すべり

さてさて、続きまして今日のメイン。
80年ぶりに発見された旧大阪鉄道亀瀬隧道へ。

亀の瀬地すべり

実は今のJR大和路線の鉄道ルートが出来るはるか昔。
この亀の瀬には亀の瀬トンネルと呼ばれるトンネルがあった。
明治25年2月2日に開通し、大阪鉄道(私鉄)が大阪湊町と奈良を結ぶ路線であった。
当時は亀の瀬トンネルの出口には「西口駅」「東口駅」という駅があった。
現在の大和路線では亀の瀬を避けるように大和川を渡って迂回するルートではなく、亀の瀬の突っ切るルートなんだな。
まだ亀の瀬の大規模な地すべりが起こる前に出来たもの。

亀の瀬地すべり

こちらは昭和7年に起きた亀の瀬地すべりを報道する新聞。
この地すべりで亀の瀬トンネルは崩壊。
新聞では「鉄道省の努力、無残に砕かる」と報じている。

亀の瀬地すべり

いよいよ旧大阪鉄道亀瀬隧道の中へ。

亀の瀬隧道

旧大阪鉄道亀瀬隧道

旧大阪鉄道亀瀬隧道

おお~!これが80年ぶりに発見された旧大阪鉄道亀瀬隧道か。

旧大阪鉄道亀瀬隧道

旧大阪鉄道亀瀬隧道

この手積みのレンガが歴史を語ってるよね。
実は旧大阪鉄道亀瀬隧道は昭和7年の地すべりで完全に崩壊したものと思われていた。
が、地すべり防止の排水トンネルを掘っている過程で平成20年に偶然に発見された。
だから約80年ぶりに発見されたと言われている。

旧大阪鉄道亀瀬隧道

旧大阪鉄道亀瀬隧道

で、こちらが昭和7年の地すべりの跡。
トンネル内部が土砂で埋まり、当時の地すべりの凄さがわかる。
昭和の地すべりの崩落面がなまなましく残っているのは珍しい。

旧大阪鉄道亀瀬隧道

旧大阪鉄道亀瀬隧道が残っているのは100mほど。

いやいや今日はいい社会勉強が出来ましたよ。
ちなみに旧大阪鉄道亀瀬隧道では予約制でプロジェクションマッピングも行っているので気になる人は下記を参考にしてね。

 

国土交通省近畿地方整備局 大和川河川事務所 | 亀の瀬 | 亀の瀬に行ってみよう | 亀の瀬地すべり見学会