- 京都で唯一の村である道の駅みなみやましろ村
- 三重県の観光スポット伊賀上野城へ
- 伊賀上野の城下町を歩く
- しかしながら忍者推しにそれじゃない感がある
- 史跡旧崇広堂(すうこうどう)を訪ねる
- 帰りは関西のバイクの聖地、針テラスへ
京都で唯一の村である道の駅みなみやましろ村
さてさて、今日は京都唯一の村であるみなみやましろ村の道の駅までバイクツーリング。
この道の駅はバイクツーリングの休憩スポットとしても人気。
見てよこのバイクの数。
ズラーっと奥までバイク、バイク、バイクだわ。
道の駅沿いの国道163号線は京都いずみチャーミングロードと呼ばれ、木津川沿いを走る爽快な道。
国道163号線から信楽焼きで有名な信楽方面へと国道422号線、国道307号線を走っても面白いし、そのまま国道163号線を東へと進み三重県の津市に抜けるのも面白い。
そんなわけでバイクが多いのである。
で、ここ道の駅みなみやましろ村は海外から視察団が来るほど成功している道の駅でもある。
茶どころであるみなみやましろ村の道の駅では1 日最大 1,000 本売れる抹茶ソフトクリームや地場の食材が楽しめるレストランなどが人気。
『じゃらん』の関西・中国・四国の道の駅ランキングのグルメ部門で上位にランキングされるほど。
それではその抹茶ソフトクリームを紹介しようといきたいところだが、今日は久しぶりの寒気到来でかなり肌寒いので抹茶ソフトクリームはあきらめた。
で、とりあえず腹ごしらえだ。
大山田ずし黒米と南山城のむらちゃ。
お寿司はほんのりシソ風味でなかなか美味い。
温かいお茶も申し分なし。
芝生のベンチに座って食べる食事はなんとも気持ちがいい。
しかし心地の良い陽射しはあるんだけど風が冷たいんだよな。
三重県の観光スポット伊賀上野城へ
さてさて、京都から三重県の伊賀上野へ。
旧伊賀市役所の駐車場にバイクを停めて伊賀上野公園へと向かう。
この建物は俳聖殿といい、松尾芭蕉の生誕300年を記念して、昭和17年(1942年)に建てられた重要文化財のお堂。
松尾芭蕉の故郷は伊賀なんですな。
こちらが伊賀上野城。
白壁が美しい天守閣は別名「白鳳城」とも呼ばれている。
コンパクトな天守閣ではあるが大きく張り出た破風の威風堂々たる壮麗な天守閣。
小ぶりな天守閣ではあるものの強調された破風によってその迫力は大きさ以上に思える。
徳川家康の家臣、藤堂高虎は大阪の豊臣秀吉ににらみをきかせるためにこの伊賀上野城の天守閣築城に着手。
五層の天守閣は築城中の暴風雨によって倒壊。
その後、大阪の陣で勝利した徳川幕府の時代となっても天守閣は再建されないまま幕末を迎えることに。
現在の伊賀上野城は昭和10年に地元の代議士が私財と投じて三層の天守閣として復興したものである。
ちなみに入館料は600円。
伊賀上野城に入城するとまず、伊賀上野城のイメージキャラクター「た伊賀ーくん」がお出迎え。
まずは1階から。
大阪冬夏の陣で実際に使用したものも含め、様々な甲冑や兜が展示されている。
こちらは現代の兜作家さんの作品のようだ。
このシルクハットのような兜が個性的で面白い。
そして藤堂高虎の兜といえばさらに個性的なこの唐冠形兜(とうかんなりかぶと)。
藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領したこの兜は藤堂高虎の子孫から伊賀市に寄贈されここに展示してある。
ちなみに三重県指定文化財となっている。
誰がどう見ても実戦向きではなさそうな兜だこと。
階段を上ってこちらが2階。
さらに急な階段を上ると。
こちらが天守閣の最上階。
見どころはこの天井絵巻だそうで、天井に46枚の書画が飾られている。
これは天守閣竣成を祝って日本画家の横山大観はじめ著名な画家、書家、政治家などから寄贈されたものだそうだ。
天守閣の最上階からの眺め。
伊賀上野の城下町の町並みを一望。
天守閣の中には伊賀焼の名品から武家の調度品、高虎ゆかりの物や芭蕉の旅笠など、様々な展示物がありなかなか全部見切れないのだ。
天守閣を出て、日本1、2の高さで有名な高石垣へ。
日本で1番高い石垣は大阪城の石垣でその高さ約32m。
大阪城の石垣は地元なのでもう何度も見ている。
なのでその石垣の高さが大阪人の当たり前になっていたりするのだが。
こちらが伊賀上野城の高石垣。
その高さは約30m。
ちょっとやばい事を思いついたんだが・・・
この石垣の上にちょこんと座って、ここから望遠レンズで撮影したら結構やばい写真が撮れそうな。
でも石垣から真下を覗くだけでちょっと足がすくむ高さだわ。
この場所から撮影する伊賀上野城の天守閣がこれまたいい感じ。
伊賀上野の城下町を歩く
ようこそ忍者市へ!!
こちらは伊賀鉄道「上野市駅」なのだが、正しい駅名よりも大きく忍者市駅と書かれてある。
まぁ上野市という市も今は存在せず、市町村合併で今では伊賀市となっているがこの駅名表記で混乱はないのだろうか。
駅前の新天地商店街を抜けて城下町へと歩く。
こちらは本町通りと呼ばれる通り。
城下町らしい風情を感じる町並みで、道の両脇には様々な商店が軒を連ねている。
古き良き商店の佇まい。
城下町らしい和菓子屋さんがあったり。
老舗のお茶屋さんがあったり。
ようかん屋さんがあったり。
養肝漬の宮城屋があったり。
ちなみに養肝漬は藤堂高虎が陣中の食料として常備ひていたそうな。
また忍者の携帯食でもあったそう。
そういえば昔ここでたまりじょうゆアイスを食べた記憶があるなぁ。
こちらはあげぱんが人気の古民家カフェ「ハナモリ コーヒー スタンド」
本町通りには全国チェーンのお店はほとんどなく、地場独特の町並みが味わえる。
いやいや街ブラするには楽しい場所だわ。
しかしながら忍者推しにそれじゃない感がある
城下街を散策しているとこのような忍者と写真が撮れるフォトスポットが沢山あることに気付く。
今では世界的にも認知度が高く、人気の忍者であるが何か使い方を間違っているような気がしてならない。
確かに昭和時代の忍者のイメージは子供に人気が高く、忍者と言えば子供向けのコンテンツという印象があった。
が、昨今の忍者人気はもっと奥が深い。
本物の忍者はどうであったか、その歴史文化の神髄に興味があったりする。
このようなフォトスポットや街のあちらこちらにある忍者のマネキンなどを眺めていると、どうも忍者は子供向けのコンテンツとして多用されすぎているような気がする。
それがまた忍者のイメージをよりチープ化していくという負の連鎖になってはいないだろうか。
そんなことを思った。
史跡旧崇広堂(すうこうどう)を訪ねる
さて、伊賀上野城から歩くこと約10分程度の場所。
伊勢津藩の第10代藩主藤堂 高兌(とうどう たかさわ)が藩士の子弟教育のために建てられた崇広堂(すうこうどう)へ。
こちらが講堂。
創建当時のまま今に残されているそうだ。
広さは7間4面というけれど・・・
いったいどれだけの広さなのか。
ネット調べてみると7間4面は98畳、49坪なのだとか。
講堂のほかに北控所や玄関棟、台所棟、寮などがあり随分と藩士の教育に力を入れていたことが伺える。
帰りは関西のバイクの聖地、針テラスへ
さてさて、伊賀からの帰りは名阪国道の針テラスへ。
バイクの数が半端ない。
いったい何台のバイクが停まっているのだろう。
毎度ながらよくまぁこれだけのバイクが集まるもんだなぁ~と感心する。
これだけの数を見ると意味もなくテンションが上がるんだな。
ああ~このまま家に帰るのももったいないかぁ~。
ってことで大宇陀まで遠回りして帰ろう。
ってことで今日はこれまで。
ではでは。