暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

だるまさんがころんだの発祥地、奈良県達磨寺で聖徳太子のその名の由来を知る。

達磨寺

さてさて、今日はGRⅢを持って奈良県王寺町の達磨寺までやって来た。
JR大和路線「王寺駅」から歩くこと約15分。
王寺駅は2社4線が乗り入れている奈良県有数のターミナル駅。
その歴史は古く、1890年(明治23年)に駅が出来ると時代と共に交通の主要駅として発展してきた。
改札を抜け、様々な路線が複雑に交差する線路を下に眺めながら駅の南口ターミナルへと向かう久度大橋を歩く。
そこから国道168号線を500mほど歩くわけだが、今日のような陽射しが強い日は日影がない国道とアスファルトから来る熱気で少々へこたれる。

達磨寺

さて、話はタイトル回収に戻るが、達磨寺を訪れるとこのような案内板があった。
なにやら日本書紀によると、聖徳太子の叔母で、日本最初の女性天皇である推古天皇の21年12月1日。
聖徳太子がここ達磨寺がある片岡山に遊び行ったのだそうだ。
すると乗っていた愛馬が急に歩みを止めた。
見るとそこには餓死に瀕した飢人(きにん)が転がっていた。
聖徳太子は和歌で問答を交わし、食べ物と自らの着物をその飢人(きにん)に与えた。
しかし、その飢人(きにん)は亡くなってしまった。

聖徳太子は「この方は聖(ひじり)である」と言われ、手厚く葬った。
その後、葬った棺を調べてみると、棺の中に飢人(きにん)の体はなく、着物だけがきちんと置いてあったのだそうだ。

聖徳太子はその着物をもとのように着られ「こうして聖の徳を頂くのだ」と言ったのだそう。
これが後の聖徳太子の名前の由来となったのだそう。
そしてその飢人(きにん)が達磨大師であったそうな。
そんなエピソードの場所がこの場所なのだという。

達磨寺

こちらがその達磨大師がころんでいた達磨石。

達磨寺

この絵は聖徳太子と達磨大師が出会った時の様子が描かれたもの。
この絵は達磨寺の方丈という建物の中で見ることが出来る。

達磨寺

こちらが達磨寺方丈の入口。
拝観料は無料。

達磨寺

達磨寺

達磨寺

達磨寺

達磨寺

達磨寺

達磨寺

達磨寺

達磨寺

達磨寺

達磨寺

達磨寺

達磨寺

達磨寺

こちらは万丈様式と言われるお堂。
心地の良い風がお堂の中を抜ける。
少し腰かけて現実逃避をしてみる。
こんな素敵なお堂があるとは知らなかった。
やはり何事も自分の目で確かめないとだな。

 

カルケット

さて、もう一つ確かめたい場所があった。
冒頭でも言ったように王寺駅は歴史のあるターミナル駅である。
その鉄道遺構を見ようじゃないか。
ってことで王寺駅に戻る。

カルケット

こちらがその鉄道遺構であるカルケット。
王寺駅のターミナルから少し西に向かうと見えてくる。

カルケット

カルケット

カルケット

ターミナル駅の線路の下。
ターミナル駅を挟んで南北へ行きかう人の交通手段として1891年に作られた線路下のカルケット(レンガ積みの開渠)。
天井を見てみるとレールの枕木がそのまま見えますね。

今でも生活道路として活用されており、自転車やバイクが行きかう。
いや~こういう雰囲気いいですな~。
ってことで今日はこれまで。
ではでは。