さてさて、今日は奈良県JR万葉まほろば線の柳本駅までやってきた。
なぜ柳本駅かというと、駅の近くに気なる廃墟があるのだ。
ちょっとどんな場所なのか探索に来たってわけ。
- 奈良県JR万葉まほろば線「柳本駅」
- 戦後の住宅不足問題と戦時中の朝鮮労働者問題
- 奈良県柳本の廃墟アパート。朝鮮人との関係性とは
- 奈良県大淀町の廃墟商店街、下渕マーケット
- 世の中の需要の歪にどう向き合うか
奈良県JR万葉まほろば線「柳本駅」
きれいな木造駅舎が印象的。
蔵などで用いる日本伝統の壁塗り「なまこ壁」が施されているが、さすがは柳本藩の城下町、風情のある町の玄関口としてロマンが溢れている駅舎。
奈良県JR万葉まほろば線柳本駅の1日の平均利用者数は1,042人だそうだ。
静かな駅舎には地元の人の往来がしばしば。
駅舎の中には観光交流センター 駅中食堂 ピクトンというお店がある。
地元の賑わい拠点として駅舎を改装した際に出来たお店なのだとか。
駅舎の前は広いロータリーもしくは駐車スペースが開けているので、地元の人が車で通うお店として賑わっている印象。
印象的な駅舎から東へと延びる道を進むと、万葉集ゆかりの古道である山の辺の道へと続く。
少し道をのぞくと宇陀方面へと続く山系。
神武天皇ゆかりの地、鳥見山などがあり、まっすぐに伸びる道をついつい散策しそうになるが今日の目的は駅舎の西側にあるのだ。
さて、踏切を渡って駅舎の西側の住宅地を歩くと滋賀県東近江市の久田工芸の飛び出し坊や「とび太くん」が約10体並ぶ。
なんだこの密度はというほど、少しかわいらしくもあり、異色さも感じる。
なんだろう。
つげ義春のねじ式。
「ちくしょう眼医者ばかりではないか」
という主人公のセリフが脳内で再生された。
湧き出る「とび太くん」は地元自治体が設置したそうだ。
柳本駅に行くには住宅地の生活道路しかなく、通勤などの人の往来が多いのだろう。
戦後の住宅不足問題と戦時中の朝鮮労働者問題
こちらは柳本市営住宅。
平屋の住宅が50軒ほど並んでいるがそのほとんどが入居者がなく、板で玄関や窓が覆われている。
昭和35年に建てられたそうなので今年2025年で築65年目となる。
戦時中は戦災などもあり、住宅建設が停滞したため1945年の戦後、420万個の住宅不足となった。
昭和30年の経済企画庁の年次経済報告によると
全国の住宅不足は昭和30年4月1日現在で約284万戸と推定され、さらに年々約26万戸の新規需要が見込まれねばならない。
と記載されている。
ちなみに令和6年度の住宅着工数は81万6,018戸。
現在よりも3~4倍の住宅需要があった。
で、先ほどの柳本市営住宅の隣に廃墟アパートがある。
何時建てられたのかは分からない。
奈良県柳本に戦時中に建設された柳本飛行場(大和海軍航空隊大和基地)があった。
太平洋戦争時の1942年の夏くらいから測量が始められ、1943年に整地、1944年9月15日から建設が始まる。
飛行場の建設にあたっては、地元の人々をはじめ、多くの人がかかわり、その中には3000人に及ぶ朝鮮の人々の存在があったという。
強制連行されて就労した人,日本で生活していて集められた人。
そのような人のためのアパートであったかどうか定かではないが・・・
奈良県の田園が広がるような場所でアパート?
と思ってしまうのである。
こちらは2025年のGoogle Earthの映像。
トタン屋根が抜け落ちているのが分かる。
こちらは2015年、10年前のGoogle Earthの映像。
トタン屋根はまだ抜け落ちていない。
奈良県柳本の廃墟アパート。朝鮮人との関係性とは
さて、こちらが奈良県柳本にある廃墟アパート。
ネットで調べると廃墟集合アパートということだが、アパートなのか?
廃工場なのか、どちらとも言い難い外観である。
アパートであるならば、現在のアパートの様式とはまったく想像出来ない建物である。
屋根は抜け落ち、数本の柱でかろうじて建物として存在している場所もある。
だんだんと自然が侵食しているほど放置時間が長いということだろう。
これはアパートだったのだろうか。
壁などもなく、骨組みしか残っていない。
通路に置かれた冷蔵庫。
開ける勇気は当然ないが、何年製の冷蔵庫か確認すればよかった。
建物に圧倒されてそこまで気がまわらなかった。
廃墟アパートの廻りは子育て世代が多い、平成に建てられたであろう住宅も多い印象。
その中心にこんな廃墟アパートがあれば、昭和育ちの私にとっては子供の絶好の秘密基地になったに違いない。
こちらは2棟あるうちのもうひと棟の様子。
真っ青なレインウェアが干してあるが、人の出入りでもあるのだろうか。
人の気配はまったく感じられなかったが。
建物内には玄関らしき扉がいくつかあり、ポストも設置されている。
たしかに複数の住居らしきものがあったようだ。
長屋のような構造物は数件の住居として壁では区切られているが、天井裏は筒抜けのようであった。
もしそうであれば言い方は悪いがまるで家畜小屋のような印象を受けた。
静かな住宅街密集地にポカリと空いた。
まるで時空トンネルのような建物である。
天井の梁に沿う電線とトタンを支える角材が、近年補修されたかのような。
他の木材と比べ木肌の色が鮮明すぎる。
これは完全に放置された建物でなく、近年まで手を加えていたのだろう。
だが、それはいったいなんのために・・・
そして、この集合アパートの本来の目的は何だったのだろうか。
近くで建設された戦時中の大和海軍柳本飛行場との関係は・・・
謎が残るばかりである。
現在でも柳本飛行場の遺構が残っている。
↓ 詳細は下記、国立映画アーカイブサイトにて
奈良県大淀町の廃墟商店街、下渕マーケット
さて、続いてやってきたのは奈良県大淀町にある廃墟商店街。
で、ここは大淀食堂街という看板の場所。
よくバイクツーリングで天川村や洞川村に行く人は目にしたことがあるだろう。
こちらが大淀食堂街であるが、お店のほとんどは廃業している。
国道309号線沿い吉野川北側にあり、吉野川を渡ると下市町で、紀伊山地へと続く。
かつては林業で賑わっていた場所、割りばしなどの製造工場も多く、トラックの往来も多かったのだろう。
今では人けのない食堂街となっている。
で、先ほどの大淀食堂街の隣にあるのがこのトタン屋根の建物。
通称、下渕マーケットである。
通称、下渕マーケットと呼ばれるL字型のアーケード商店街。
戦後の闇市から始まったそうで、1960年代には店舗兼住宅の長屋型の商店街となり繁盛したが、1980年代にはほとんどの店舗が出て行ったそうだ。
かなり崩壊が進んでおり、この2階のタンスなどは今にも滑り落ちそうな角度を保っている。
実際に2階部分の庇が崩壊している箇所もある。
電気代なのかガス代なのか、約2か月分の料金のようなものが黒板に記載されている。
ご覧いただいた通り、すでにかなりの崩壊が始まっているが、行政としても解体がなかなか出来ない問題がある。
この商店街は登記上27件の登記情報があり所有者の特定が難しい。
なかには数年退位で所有権が移転しているもの、または複数人で共有しているものがあるそうだ。
所有者が特定出来れば行政代執行が可能、所有者が特定できない場合でも略式代執行というのもあるが、27件の所有者の特定調査は行わないといけないので、調査の結果というのが大前提となる。
このような事例は過疎化が進む今の社会では全国で存在する問題なのだろう。
世の中の需要の歪にどう向き合うか
さて、戦後の住宅需要のひっ迫、その後の高度経済成長でのインフラ需要。
需要のバランスには必ず歪が生まれる。
今回紹介した廃墟はもちろん需要バランスの歪である。
需要があるときには大量に生産して、需要がなければ不要となる。
この歪をなくすことは無理でいずれ歪が生まれる事が前提にあるわけだが・・・
昨今の誰も住まない都心の高層マンション乱立などを見ていると、誰が需要の歪をさやにおさめるのだろうかと疑問に思う。
国は民間に需要と供給のバランスを任せているが・・・
数十年後に廃墟化した高層マンションの危険度などは今回紹介した廃墟とはレベルが違う。
そして登記上の持ち主は100を超える場合もあるだろう。
極端な話、このような高層マンションの解体に強制代執行で税金が使えるものなのだろうか。
少子高齢化で過疎化する日本の未来において、今の需要の歪をどう成敗する?
度重なる水道管破裂のインフラ維持の問題もそう。
最近のお米の高騰もそう。
高層マンションもそう。
今の需要に対して数年、数十年後にバランス崩壊の歪が来る。
地方温泉地の廃墟ホテルの処理もままならないのに、都市部の開発の歪なんて受け止めれやしないだろう。
ワールドトレードセンター、アジア太平洋トレードセンター、時の時空間など過去に作った大きな箱モノは左から右に受け流し。
大阪梅田の再開発、大阪万博、夢洲統合型リゾートへ。
需要がある時は成功したとて、その後はドリームランド、あやめ池遊園地、玉手山遊園地と同じように、かつてはこの地にそのような施設があったと言われるだけなんだろうな。
そう考えるとなんだか現在人って最終的には虚無だよな。
なんて思ったりする今日この頃です。