
さてさて、今日は兵庫県西脇市へとやって来た。
東経135度・北緯35度が交差する地点にあることから「日本のへそ」と言われている。
明治以降、「播州織」として知られる織物産業が発展。
周辺地方から仕事を求めて多くの女性工員が集まったのだとか。
自然にも恵まれ、かつては播州織で日本中に名を馳せ繁栄した町。
芸術家である横尾忠則の出身地であり、西脇市には横尾忠則ゆかりの地も多く残っている。
昭和感を残す極狭の女工の寄宿舎街「旭マーケット」を訪ねる

兵庫県西脇市役所のほど近く、西脇市の旧市街。
今では加古川をはさんで南側にJR「新西脇駅」、さらに南側に「西脇駅」があり、そちらの方が生活の中心地となっているが、加古川の北側が古くから栄えた地として古い町並みが残っている。

兵庫県西脇市周辺をGoogleMapで眺めていると、加古川を中心にして町が栄えているのが分かる。
加古川沿いにJR線が走り、今でも播州織の水運で栄えた街というのがなんとなく分かる。

で、当時、播州織の女性工員が集合アパートとして住んでいた場所が今でも残っているという聞いて訪ねた場所がここ「旭マーケット」


道幅2.5mそこそこの2階建ての長屋が約70m続いている。
起源は1918年(大正7年)頃に建築され、播州織の工場で働く女性労働者(女工)の寄宿舎として使われたのが始まり。


播州という土地が広い場所にこのようなせせこましいアーケードというは違和感がある。
この場所に当時、播州織の工場で働く女性労働者が何人住んでいたかは分からないが、ここだけなぜがせせこましい。
当時はこのようなアーケードがあちらこちらにあったのか。
辺りを散策してもその痕跡は分からなかった。
とは言え、令和の今でもこのように当時の面影を残す建物が残っているのは素晴らしい。













今でも住んでいる人の気配を感じる。
生活音がところどころから聞こえる。



たった70mほどのアーケードだが、ところどころに共同の水場であった面影が残っている。
ここでみんな洗い物をしたりしていたのだろう。
なかには共同のトイレのような場所も残っていた。
このような場所が今でも残っているのは珍しい。




築100年以上の建物らしく、その劣化も激しい。
今にも落ちてきそうな木片がぶら下がっている。
ここ、西脇市は江戸時代から続く綿織物「播州織」の一大産地で、最盛期の1970年代には約8,000人が従事したそうだ。
県内外や朝鮮半島からも女子労働者が集められ、旭マーケットは彼女たちの生活の場だったとのこと。
横尾忠則のY字路シリーズの発想地を訪ねる







西脇市の古い町並みを散策。


そして見えてきたのは芸術家の横尾忠則のY字路シリーズの創作の原点となった場所。
横尾忠則は兵庫県西脇市出身。
西脇市は古くから播州織で栄えたせいか、古い街道のようなY字路が多い印象。

こちらも横尾忠則のY字路シリーズで描かれた場所とのこと。
播州の豪商、国登録有形文化財である旧来住家住宅(きしけじゅうたく)を訪ねる

さてさて、続いてやってきたのは播州の豪商である来住家住宅(きしけじゅうたく)
先ほどの旭マーケットや横尾忠則のY字路シリーズなど、この辺り周辺は歩いて10分ほど散策するだけで様々な観光スポットが巡れる場所。



ちなみに入館は無料。
来住家はこの地方の豪商で、来住梅吉(きし うめきち)は「西脇商業銀行」を創設。
この銀行は後に神戸銀行へ合併され、現在の三井住友銀行の前身の一部となる。
橋本関雪や犬養毅などの著名人も逗留した記録がある。
建物は1918年(大正7年)に建てられたもの。



真田家の六文銭の甲冑があるが、これは来住家とはなんら関係はないらしい。







こちらは化粧室。





で、こちらが客間。

客間にコウモリの装飾って珍しくない。



ちなみに当時、客人をもてなすお風呂がこちら。
タイル張りのかなりモダンなお風呂になっている。

タイルはイタリア製とのこと。


当時としてはかなりモダンなタイル張り。

お風呂場の天井は折上げ格天井とのことで見上げてみると・・・
これまた立派な天井だこと。
風呂場にこんな立派な木製の天井を作るとは。



そしてこちらは客間のトイレ。
いやいや客間のお風呂やトイレのこだわりに驚いた。

続いては2階へ。





こちらは土間。


無骨な配電が味わいある。


これなんだろうね。
テレビブースターって書いてあるが・・・

こちらが家人のお風呂らしい。
客人のお風呂とはぜんぜん様式が違うよね。
ってことで、今回は兵庫県西脇市の歴史探索だったとさ。
ではでは。

