暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

奈良県の絶景スポット、梅が見頃のシーズン到来、賀名生の里で動乱の歴史を学ぶ旅

さてさて、今日やって来たのは梅が見頃シーズンを迎えた奈良県五條市にある賀名生の里へ。

教科書では習わないが、かつてこの地に皇居があり、ほんの一時ではあるものの都となった場所。

そのあたりの話はまた後程話すとして・・・
まずは見ごろとなった梅の撮影だ。

 

歴史民俗資料館の駐車場に車を停めて、見上げると吉野の山腹に見事な梅が咲いている。
吉野と言えば桜が有名だが吉野も広く、梅が有名な吉野のエリアもあるのだ。

 

南北朝時代、後醍醐天皇の子、後村上天皇は賀名生の地に皇居を置いた。
南朝側であった足利尊氏は後醍醐天皇を一度裏切ったものの。
その後、足利家でいろいろすったもんだの問題が繰り返され。
足利尊氏は再び、南朝と和睦。
京都にあった三種の神器を南朝側に引き渡す。

すると京都の公家や殿上人(てんじょうびと)がわんさかと賀名生に参候。
立派な建物がどんどん建っていった。
静かな里山はまたたくまに煌びやかな都となったそうな。

そして、北朝で使用していた元号である「観応」は廃止され、南朝で使用していた元号である「正平」に統一。
これを正平の一統という。

かつてこの地は「穴生(あなう)」と呼ばれていたが、「願いがかなった」ということで「加名生(かなう)」と名付けられた。
しかしに後に「加名生(かなう)」とは畏れ多いということで「賀名生(あのう)で落ち着いたわけだ。

それでは賀名生の里巡りおば・・・

 

梅が咲く里道を散策するのも気持ちがいいんだけど。
個人的には里山を俯瞰で眺めるほうが好きなもんで。

 

いや~のどかで美しい里山の景色だ事。
吉野の桜も綺麗だけど、吉野の梅もなかなかのもんでしょ。

 

この崖っぷちに家が建っている感が秘境っぽくてたまらない。

 

そしてこちらが賀名生にある皇居。
今でもその建物が残っている。
ジビエレストランとして活用されてるんだな。

 

この地の郷士「堀孫太郎信増」の邸宅が後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇の皇居として使われていた。南朝がなくなった後、皇居を民家として活用されているのはまったく稀有な事である。

 

そして皇居の横にあるのが歴史民俗資料館。

 

これより展示室へは有料となる。
入館料は300円。
せっかくなので入ってみたけど、カメラ撮影は禁止なので写真での紹介が出来ないのであしからず。

 

歴史民俗資料館の裏山を少し登ると賀名生皇居跡地の碑があった。

 

そしてこちらは南朝のために奮闘した南朝の指導者である北畠親房のお墓。

享年62。ここ賀名生の地で死去。

その後、南朝には指導的立場の人物がいなくなり衰退の道をたどる事に。

 

梅を眺めに来るだけでもいいんだけど。
せっかくなので、静かな里山に凝縮された動乱の歴史ロマンを感じ、学ぶのもいいもんですよ。

ってことで今日はこれまで。
ではでは。