
いやいやなんだか感慨深い小説だったなぁ。
明治42年に書かれた小説だけど、令和の時代に初めて読んで集中力が途切れることなく没入出来た。
今も昔も人間の欲望や弱さは変わらないものなのだなぁ。
舞台は埼玉県の熊谷、行田、羽生。
熊谷の中学校を卒業した主人公の勤め先は田舎の羽生の小学校「三田ヶ谷村弥勒高等尋常小学校。
同年代の学友たちは高等師範学校を受けるもの、夢を抱いて東京で1年や2年は修行に出る者、専門学校に行くものと。
主人公にとっては自分の行きたい道を進む学友が羨ましかった。
家庭が貧しい主人公は羽生の田舎の小学校教師。
このまま田舎に埋もれて一生を終えるのではと絶望感に苛まれる。
学友たちとは何度もランプの下で夜遅くまで文学について語り合った。
明星派是非論などを繰り返し論じた。
学生時代に将来の行く末を考えなくもなかったが、いずれ道が拓けるだろうと考えていた。
しかし、現実は田舎教師であった。
小学校にあるオルガンを弾いては楽譜を取り寄せ、音楽の道に進もうと、音楽学校を受験するものの、所詮は井の中の蛙であった。
田舎教師が心を寄せていた女性は学友に先を越され、これまでまじめに働き、貧しい実家に仕送りをしていたものの、いずれ渡良瀬川を渡った中田の遊郭の女性に入れ込むようになり主人公の生活は借金まみれとなる。
だが、1年ほどで遊郭通いから足を払い、借金を返済するために倹約し、散歩がてらに田舎の風景を写生する日々。
その頃には教え子にも慕われ、再びまじめな教師であったが、徐々に体が衰弱していく。
学友からの手紙には士官学校を受けるために東京に出るやら、高等師範に合格し第四に通うなどの連絡がある。
志のある学友たちと今の自分の境遇とを比べる日々。
やがて日露戦争が始まり、田舎の羽生でも日本の快進撃が村中の話題となる。
だが、肺を患い、頬はこけ、体がままに動かない。
元気であれば若い力を盛大にお国のために奉公出来たであろう。
やがて日露戦争における最大級の陸戦「遼陽会戦」でついに日本軍が勝利というニュース。
日本の世界的発展のもっとも栄光のある日。
勝利で日本中が狂喜に沸いているその日に、21歳の田舎教師はさびしく肺病でその息を止めた。
人並に普通に育ってきたつもりだが、どこかで自分は違っていた。
そんな事、子供の頃に教えてくれなかった。
社会に出て、初めて、あれっ!思っていたのと違う。
でも、学友たちはさも当然のように自分の進む道を進んでいる。
自分だけ?
取り残されている。
そう感じる現代社会の若い人も多いのではないだろうか。
「明星」を愛読し、学友と文芸論議を交わしながらも、世間知らずであった。
人は平等とはいうものの、知らぬは己だけだったのか。
そんな人生を送って来た私としては共感が持てた。
そして、この時代特有の学友とのセリフ回しも面白かったし、なにより熊谷~行田~羽生の自然、風景、街道の描写が目に映るようだった。
ってことで今日はこれまで。
ではでは。
