暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

三重県名張市の歴史スポット初瀬街道へ。ひやわいとかやなせ宿とか名張藤堂家邸とかを訪ねる

初瀬街道

さてさて、今日やってきたのは三重県名張市の初瀬街道。
三重県でありながら名古屋よりも大阪、奈良へのアクセスが良く、大阪や奈良に勤務するサラリーマンのベットタウン。

大阪や奈良で近鉄沿線に住んでいる人なら名張と地名をよく聞くと思うが、実際には行ったことがないという人も多いのではないだろうか。

実は名張には初瀬街道という古い街道があり、江戸時代に流行したお伊勢参りでは大阪、奈良、京都から伊勢参りをする際の街道としてにぎわったそうな。

そしてここ名張には名張八宿という伊勢参りの宿場町であった。

 

登録有形文化財の建物が多く残る初瀬街道の町並みを散策

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

レトロな町並みが残る初瀬街道。

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道には多くの有形登録文化財の建物が残されている。
こちらは昔の銭湯であった建物。

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

初瀬街道

街道沿いの町並みも素敵だが、ちょっと裏路地に入るとこれまた素敵な光景が広がる。

ひやわいと江戸川乱歩誕生の地

初瀬街道

名張市は怪人二十面相で有名な江戸川乱歩の生誕地でもあるんだな。
写真は近鉄名張駅前にある江戸川乱歩の銅像。

初瀬街道

こちらが江戸川乱歩の生誕の地。

初瀬街道

この場所に江戸川乱歩が誕生したときの家が建っていたそうだ。

そしてこの江戸川乱歩の誕生地はひやわいの中にある。

ひやわい

ひやわいって何よ?
ひやわいとは人一人が辛うじて通ることのできる、民家の間を縫う細い路地のこと。
ここ名張では裏路地のことをひやわいと呼ぶらしい。
初瀬街道の町中にはこのような路地裏が多い。

ひやわい

ひやわい

こちらがひやわいと呼ばれる路地裏。
この狭さだからね。
このひやわい沿いに江戸川乱歩生誕の地があるんだな。

 

 

やなせ宿を訪ねる

やなせ宿

初瀬街道

さてさて、続いてやってきたのは初瀬街道にあるやなせ宿と呼ばれる場所。
宿という名が付いてますが、宿ではなく、薬商であった細川邸を改修工事をして公開している。
ちなみに見学は無料。

やなせ宿

やなせ宿

なぜだか土間の場所に駄菓子が売られている。

やなせ宿

やなせ宿

やなせ宿

やなせ宿

やなせ宿

やなせ宿

やなせ宿

ここは観光案内拠点みたいなところかな。
ランチなんかも食べれるみたいだった。

 

 

名張藤堂家邸跡を見学

名張藤堂家邸跡

さて、続いてやってきたのは名張藤堂家邸跡。
ここ名張は藤堂高虎の養子であった藤堂高吉が治めていた地。
そのお屋敷の一部を再建して公開されている。

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

入館料は大人200円。

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

藤堂家は明治時代の廃藩置県で男爵の称号を得たそう。
学習院時代には三笠宮殿下とご学友となり、三笠宮殿下が名張に来た際にこの茶室に宿泊されたのだそう。

名張藤堂家邸跡

廊下まで畳敷きというのは珍しいよね。

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

こちらは朱具足と呼ばれる甲冑。
実際に大阪の陣で使用された具足だと言われている。

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡

こちらは秀吉からの書状。
このような展示物は撮影禁止の場所が多いのだが、ここでは撮影してもいいのだとか。

こちらは兜。
前方に丸い凹みがあるのだが、これは銃弾で撃たれた跡らしい。
撃たれた本人はこの銃弾の衝撃で気絶をしたらしいが大阪冬の陣の際、雪の寒さで意識を取り戻したらしい。

こちらは隣の神社に移設された名張藤堂家の旧正門(通称太鼓門)なのだとか。
こりゃ時代劇でよく見るお代官様の門って感じだな。

さてさて、今回は三重県名張市を訪れてみましたが、名張、桔梗が丘というベットタウンのイメージとはかなり違いますよね。
行ってみないと分からないもんだわ。

名張がこんなにも歴史深い場所だったとは。

ちなみに歴史ボランティアの人に聞いた話だが伊賀忍者の発祥はここ名張なのだとか。
奈良時代、名張界隈は奈良の大仏で有名な東大寺の支配下だったそうな。
名張の人たちは東大寺の厳しい年貢に反旗をひるがえし、黒田の悪党として東大寺と対立したそうな。(名張市黒田という地名が今でもある)

ちなみに当時、悪党とは悪いものという意味ではなく、反乱を起こしたもの、または強者という意味。

東大寺と対立し、強力な地侍集団としてゲリラ戦を得意とした戦術集団であったそうな。
南北朝時代には河内の大悪党であった楠木正成に呼応し、南朝方として挙兵している。
この黒田の悪党がのちの伊賀忍者となったのだそうだ。

 

いや~今日はいろいろと勉強になったなぁ。
ってことで今日はこれまで。
ではでは。