暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

就活で面接のためのリクルートスーツが買えないという若者が4人に1人とは本当なのか?

これって買えないのでなく、買いたくないという事のなのではないだろうか。
大手スーツ量販店では就活応援フェアとかでスーツ+各アイテムの8点セットが29800円とかよく目にする。

努力次第ではもっと安く手にすることも可能だろう。

で、私はこれが買えないって人が高額な教育費を支払って大学に通うジレンマを感じるのだがみなさんはどうだろう。

今の日本の教育システムにはいろいろ述べたいことは山ほどあるが、どうやら就職を有利にするために大学ぐらいは出ておけという親の心情やら、大学ぐらいは出ていて当たり前という社会風潮やらが大学を崇拝しているという実情、建前はどうであれ、実態としては就職を意識して大学に通う学生の方が多いのだと思う。

であるならば、さぁ4年間大学に通って、学費も払って、いざ就活だ!さぁ勝敗を決める決戦場だという際に、何も武装がないなんて本末転倒なのではないか?

〇〇〇百万の学費を用立てたのに、決戦の際に3万円ほどの武器も買えないなんて。


何だか世の中のねじれを感じずにはいられない。

 

人の価値観は多様化しているのわけだけど、もしかして大学に〇〇〇百万払うのはありだけど、リクルートスーツにお金を払いたくないという人が増加しているのだろうか?

だから、別に買えなくはないのだけれど、3万円あったら別の事に使いたい。
そういう人が4人に1人なら納得ができる。


でも、4人に1人がリクルートスーツを買いたいのにお金がなくて買えないってのはちょっと想像しにくい。

それが本当なら学費の支払いに無理をし過ぎなんじゃないのかな。

ちょっと頑張って自分で稼ごうと思えば稼げるぐらいの価格じゃないかと思うのです。


ましてやあらかじめ就活シーズンが来ることは1年も2年も前から決まっていることで、突発的な出費じゃないわけで、計画的に貯めておけば問題ないのだと思うけれど。


もし貧乏でリクルートスーツが買えないというのなら、高額な教育費を支払って教育を受けることが何よりも優先される世の中に歪が生じているという事なのでしょう。


大学とはなんなのだろうか。
そう考えさせる今日この頃ですが・・・

まぁリクルートスーツを買うお金があるなら専門書を購入したいといか、実験、研究に使いたいという人はそもそも就活には興味がないのかもしれないけれど・・・