今、昭和初期に書かれたとある森林官の体験談をまとめた本を読んでいる。
80年以上も前に書かれた話なのであるけれども、文章の流れが心地よく、それでいて各エピソードの起承転結に工夫が凝らしてあり面白い。
その本の中で現代人では知らない昔ながらの表現をいくつか発見したので教養のためにメモがてらブログに残しておきたいと思う。
■六ケ敷い
こりゃなんと読むのだろうか。
何となく当てずっぽうでその読みと意味を想像してみると案外的外れでもなさそうだったりする。
むつかしい。
そう読むのが正解で、意味も現在用語である難しいと同じ意味。
昭和初期はこのような漢字も使われていたよう。
■打っ魂消る
これも何となくそのまま読めば意味が分かるかも。
ぶったまげる
ぶったまげるという言葉にこのような漢字表記があったとは知りませんでした。
現在ではあまり使われない漢字表記です。
■五月蠅い
これも何となく漢字の意味を考えると想像がつくかも。
うるさい
現在ではひらがな表記が多いですが、昔の本などではこのような漢字で表記されている事も多い。
確かにセミの声はうるさい。
まとめ
打っ魂消る、五月蠅い、という漢字はその意味を表現したなるほどと納得する漢字なのですが、なぜ六ケ敷いがむつかしいという意味の漢字になるのかが謎です。
この言葉の語源の意味が気になる今日この頃。
そういえば今日「冬」の語源を知った。
冬の語源は諸説ある。
冷(ひゆ)が転じて「ふゆ」となったとの説もあるのだが、私が感銘を受けたのは殖(ふゆ)。
生き物の繁殖を表した「殖」が「冬」の語源という説もあるらしい。
一般的には冬は生命の気配が乏しく感じられるわけのだが
生命の繁殖の節目として、冬にこそ大いなる生命の力があるのだとか。
生き物が死を迎え、新たな生命が再生する。
その再生の時期が「冬」なのであり、雪深い冬こそ生命の根源だという。
私としてはその語源のほうがロマンがあり、「冬」の見方も少し変わってくるのでそちらの説を信じたい。
ではでは。