暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

私が実践している運を引き寄せる方法と運とは何かを分かりやすく自分流に解釈する

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占い師に運勢を見てもらうと必ず運に恵まれてきた人生と言われる。

強運の持ち主とまでは言わないが、私はそこそこに運がいいらしい。

四柱推命では持って生まれた運気というものがある。

が、私は運はコントロール出来るものだと考える。

 

 

運とは本当に神の領域にあるものなのか。 

辞書によると運とは「人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する、人間の意志を超越したはたらき。」

とある。

 

人間の意志を超越したはたらきって一般的には神の領域っていう事を示すのだろうが・・・。

はたして神の領域は人間の意志を超越しているものなのだろうか。

 

私はそうは思わない。

仏教であれ、キリスト教であれ、人間が信仰の対象として創造したものが神である。

神様が人間を創造したのではない、人間が神を創造したのだ。

 

信仰という概念を生み出した人間の創造力ってスゴイと思う。

で、そんな神を創造したのが人間であれば、運は人間の意志を超越した領域のものと言えないと考える。

 

運という概念も人間が生み出したものに過ぎない。

 

では運とはいったいなんであるか。

なりたい自分になるための法則として引き寄せの法則というものがあるがそれは運ではない。

引き寄せの法則は自己暗示であって運を引き寄せるものではない。

ではいったい運とはなんであるか。

 

運を理解するには複雑、もしくは神がかり的なものとして考えてはいけない。

運もお金も万人平等に巡りめぐるものである。

 

そこで、運というものをシンプルに考える。

善い行いをするものに運は巡り、悪い行いをするものは運に見放されるという当然の話なのである。

 

え~!結局そういう一般論なのかよって話になるのだが。
そんな綺麗ごとの話ではないのだよ。

そのような運の構造を信仰として体系化したのが昔の人の凄いところなのだ。

 

ようするに運というものはすでに千年前以上も前に体系化されているのだ。

 

運とは感謝である。 

科学的な発想だと運というものは確率という事になるのだろう。
だが、信仰の世界では感謝をする事で運気をコントロールするという事が体系化されている。

 

その考え方はいたってシンプルだ。

生きている今に感謝をすればよい。

それだけ。

 

運を引き寄せるには感謝をすればいい。

極端に言うとそれだけ。

 

【私が実践している事その1】毎朝、氏神様をお参りする。

厳密にいうと毎日ではないのだが、ほとんど毎日、通勤時に氏神である神社にお参りをする。

そして、今日一日がある事を感謝し、今日一日どうぞよろしくお願いしますと願うのである。

もう10年ほどそのような毎日の習慣となっている。

 

【私が実践している事その2】毎朝、仏壇に手を合わす。

仏壇がない人はどうするのさ。
って事にはなるのだけれど。

毎朝、ご先祖様の供養を欠かさない。
これもご先祖様を敬い、感謝をする行為である。

なんだかうさんくさい感じがするけれど、宗教も人間が作り出し体系化したもの。

 

科学的な物ではなく、何百年という歴史の経験から生み出されたものなのであり、そこには現代人の物差しで測れない根拠や、その領域に到達した理由があるはずである。

 

【私が実践している事その3】パワースポットに出掛けよう。

寺社仏閣巡りが趣味ではあるのだが、日頃からそのような場所に近づくように心がけている。

荒廃せずに残っている寺社仏閣ってそれだけでも運がいい。

何かしらの御利益があるからこそ今でも残っているのだと思う。

そのような場所に少しでも身を置くと、少なからず不思議な力を頂けるはずだ。

そんな考えで、少々寄り道してでもパワースポットに日頃から近づくようにしている。

 

頂く力は微々たるものかも知れないが、塵も積もればなんとやら。

不吉な運を弾く力になるのかも知れない。

 

まとめ

運とはコントロール出来るものだと考える。
日頃の行い、考え方次第でいかようにでもなる。

 

でもなんか宗教臭いわって方。
科学的じゃないじゃんって方。

 

近代社会の科学的な理論を信じるか、何百年もの経験で体系化された信仰という概念を信じるかはあなた次第。

 

この世に神は存在しないが、概念としてこの世に構築された意味があるはずだと私は思う。

 

ちょっと話は運とは離れるが、

夢で占い師にこう言われた事がある。

幸運は顔から入ってくる。

なので、顔を隠すようなものがあると運気が入ってこない。

だからフチありの眼鏡はやめて、フチなしの眼鏡にしなさいと・・・

 

そんな夢を見てからずっとフチなしの眼鏡にしている。
確かに人の運気ってある意味、顔の表情の明るさ、暗さも関係あるだろう。

 

要するに、暗い雰囲気の人よりは明るい雰囲気の人のほうが運気が集まるのだという。
まぁそりゃそうだろうなと思う。

 

そういう事も運気を左右するのだと思う。

 

でも根本は自分の周りの人を不快にしない、日々の出来事に感謝をするという事だろう。

 

太古の人達は感謝をすれば運気が上がる事を理解していた。
その事を万人に広めるには感謝の対象を創る必要があった。

故に自然信仰や、神という概念を作った。

 

 

万物に感謝の捻を表すという概念はお祭という習慣にも表れる。

我々人間は感謝をするという事で運気をコントロールしているのではないだろうか。

 

まぁそんな事を思う今日この頃です。

ではでは。