Kawasaki VERSYS-X 250が納車されて2週間が経ち、前回の初ツーリングでは坂道発進に失敗して二回も立ちコケ。
ご覧の通り、クラッチレバーがグニャリと曲がってしまったうえに、左肩をアスファルトで強打し、左腕が上がらない状態になった。
しょぼくれて帰る家路の道すがら、ツーリングへと向かう団体がこちらに向かって手を振ってくれるが、左腕が上がらない。
仕方なく、右腕を上げて手を振る。
なんであいつアクセルを握る右腕で手を振ってるのだろうと不思議に思われた事だろう。
そんな初ツーリングから1週間経ち、本日2度目の単独ツーリング。
少々恐怖心が残るものの、乗らない事には上手くはならないのである。
って事で今日も初心者ながら峠へと出かけてみた。
15日には超大型台風10号が上陸するとの事。
その2日も前の13日の午前中なのだが、晴天であるもののかなりの強風。
少々横に煽られたりしながら奈良へと来た。
とりあえず熱中症対策としてコンビニにてこまめに水分補給。
そうそう、前回からの装備追加としてGIVIのリアボックスキャリアーを購入しました。
GIVIのE33というタイプのもの。
ARAIのTOUR-CROSS 3のヘルメットがすっぽりと入る容量。
これで、ヘルメットどうしよう問題は解消。
だが、バイクにまたがるのに一苦労だったりする。
パニアケースとリアボックスが邪魔になって足が回らない。
無意味に足を上げて乗り込む。
おいおい、なだぎ武のモノマネのビバリーヒルズ青春白書のディランかよ!
って感じ。
それでも足がつっかえる。
こりゃ慣れが必要だわ。
峠の練習としてなんとか道の駅吉野路大塔まで・・・
これから吉野へと向かう人で駐車場は混雑していた。
キャンプへと向かう人も多く、車にぎっしりとキャンプ道具を積んでいる車もちらほら。
って台風10号が近づいているので無理しないようにね。
さてさて、時刻は11時30分。
そろそろお腹も減ったので大塔郷土館へ。
何度も訪れていている場所なのですが・・・
維新胎動の地って碑があるのだが、維新胎動って何?って思いますよね。
南北朝
鎌倉幕府追討を企てる「大塔宮護良親王」は、元弘元年(1331年)元弘の乱が起こると、笠置山に参向して、父「後醍醐天皇」を助けたが、笠置山が陥落すると幕府軍の追捕を逃れて、十津川・吉野・熊野等々を転々と流浪して必死に反幕府勢力の糾合に努めた。この間、大塔村辻堂・殿野に入り、土地の豪族「戸野兵衛」「竹原八郎」をはじめとする村人の手厚い加護を受け諸国に幕府追討の「令旨」を発し、ついに鎌倉討幕の偉業(建武の中興)を成し遂げた。
天誅組
攘夷運動が激しさを増した江戸末期文久三年(1863年)「中山忠光」「吉村寅太郎」ら反幕勢力は「天誅組」を旗揚げし、激しい倒幕運動を展開した。五條で決起し代官所を襲撃した後、交通の要地・物資の集散地であった「天辻峠」に本陣を構えた。この地きっての富豪であり有力者であった「鶴屋治兵衛」をはじめ村人は居宅や人力を提供し協力を惜しまなかった。しかし、幕府軍の追捕激しく志半ばにして夢破れたものの、「維新運動のささきがけ」として讃えられている。
との事で南北朝時代の倒幕運動から始まり、江戸末期の攘夷運動の活発な地として、たえず討幕派として活動をした地だから、維新胎動の地と言われている。
まぁそんなうんちくはさておき。
ここの食事処は風情があるので何かと立ち寄っている場所なのだ。
藁ぶき屋根の古風な佇まいが涼しげでいい。
店内は畳敷きで、田舎に帰ってきた感があるんだな。
メニューはいたってシンプル。
茶粥か、蕎麦か、カレーか、目張り寿司か。
これだけ暑いと蕎麦ぐらいしか喉を通らんわ。
って事で蕎麦を注文。
1000円なり。
蕎麦を食べながら、これから先に進もうか、それとも台風に備えてここで引き返そうか考える。
とにかく、行けるところまで行ってみようと・・・
って事で、谷瀬の釣り橋を目指して出発してみるものの、いくつかトンネルを超えた時点で雨。
さすがは吉野。
なんとも気まぐれな天気だ事。
深追いはよそうって事で引き返す事に。
とはいえ家に帰ってもまだ早い時間。
帰りに東大阪のNAPSによっていろいろ物色。
手袋が欲しかったのだけれども値段を見るとちょっと躊躇う。
って事で何も買わずに退散しましたとさ。
今日はこれまで。
ではでは。