京都・木津川市と奈良・奈良市を結ぶ、幻の大仏鉄道というものがあった。
そんな記事を雑誌で見て、この景色が掲載されていた。
ほほう、生まれも育ちも大阪なのだが、大仏鉄道とは知らなんだ。
しかもこの夏らしい景色の美しさ。
そう思って早速、明治の鉄道、まぼろしの大仏鉄道遺構めぐりへと出かけたわけだ。
- 京都・木津川市「加茂駅」周辺を散策
- ところで大仏鉄道ってなんじゃらほい。
- SL機関車C57 56
- 美しい田園風景を行く。
- 夏らしい景観が美しい観音寺橋台
- 竹林の小道を抜けて鹿背山橋台へ
- 梶ヶ谷隧道と赤橋
- 松谷川隧道へ
- 鹿川隧道へと向かい、国境食堂で天ざるをいただく。
- 終着点、大仏鉄道公園へ
京都・木津川市「加茂駅」周辺を散策
さて、旅の出発点はここ、JR西日本大和路線の加茂駅。
加茂行きの快速には何百回と乗っているんだけど、実際に加茂駅まで来たのは初めて。
自宅近くの駅から奈良駅行きの快速に乗る、奈良駅で加茂行きへと乗り換え。
およそ約45分程度で加茂駅へと到着。
ありゃ、意外に近いもんだ。車窓の眺めを楽しんでいるうちにもう京都まで来たってことだ。
こちらは加茂駅から亀山へと向かう車両。
加茂駅の改札を出て、西側へ。
いつも通勤で利用しているJR大和路線の執着駅がここかぁ。
なんて思うとちょっと感慨深い。
駅前は人通りは少ないけれど想像以上にひらけていた。
まずは加茂駅の西側にある観光案内所へ。
駅前線路沿いの大通り沿いにあるのだけれど、駐車場の奥にあるので少々探してしまった。
ここでいろいろと観光マップなどを入手。
ちなみにこちらのMAPは駅改札でも入手可能。
こちらのMAPでは加茂駅から木津駅までの大仏鉄道遺構めぐりのMAPですが、今回はさらに歩いて、大仏鉄道終着駅の大仏鉄道記念公園までの予定。
木津川市観光案内所の2階には「大佛汽茶」というカフェがあり。
大仏鉄道のことを詳しく知れるのだとか。
しかしながらこの日は平日で開店時間は13時から。
加茂駅前にある最初の大仏鉄道遺構はこちらのランプ小屋。
このランプ小屋は、明治30年(1897年)10月に建てられたもので、関西鉄道加茂駅の開業当時から残る建物。
大仏鉄道は電気照明が普及する以前の鉄道なので、照明は石油ランプ。
このランプ小屋はランプや、燃料となる油などを保管するための小屋。
ちなみに今でも鉄道倉庫として使用しているよう。
観光案内所に貼ってあったポスター。
こんなに大仏鉄道をPRしてるんだけど、知らなかったなぁ。
ところで大仏鉄道ってなんじゃらほい。
さて、加茂駅の線路を渡って東出口へ。
駅前は公園になっており、鉄道のモニュメントが飾ってある。
公園内には大仏鉄道の説明書きがある。
明治31年(1898年)に開通した加茂駅から現在の奈良駅付近の大仏駅までを結ぶ鉄道。
急坂や難所が多く、わずか9年で廃線。
当時の写真や資料も少なく、「幻の鉄道」と呼ばれている。
では、なぜわずか9年で廃線となったのか。
それは加茂駅から木津駅への平坦なルートが開通したから。
ではなぜ、初めからそのルートで路線の開発を進めなかったのだろうか。
わずか9年後に平坦なルートが出来たので、急坂の難所の鉄道は廃線しますって!
そんな疑問も含めて「幻の鉄道」なのである。
しかもイギリス製の真っ赤な蒸気機関車が走ってたとか。
真っ赤な機関車って。
シャア専用かよ。
もうロマンしかないわ。
SL機関車C57 56
続いて、SLが保存されているという場所へ。
SL蒸気機関車C57 56。
その速さとスタイルの良さから「貴婦人」と呼ばれていたらしい。
美しい田園風景を行く。
加茂駅の東側を線路に沿って奈良へと向かい、静かな住宅街を歩く。
加茂小学校前にあった昭和感の漂う書店。
学校指定の文具店なんだろうなぁ。
線路を渡って西側へ。
のどかな田園風景の中の道を歩く。
畑を耕す土の香りと草花の香りがなんとも初夏らしい。
聞こえてくるのは鳥の鳴き声と蛙の鳴き声、時たま大和路線の電車の音が遠くから聞こえる。
目の前には大野山。
要所要所に大仏鉄道遺構めぐりの道案内の看板があるので観光案内のMAPがなくとも安心して遺構めぐりが出来そう。
いや~ほんとのどかだなぁ。
っていうか今日は今年初の真夏日だと。
日影が・・・
日影が欲しい・・・
川沿いの道を歩く。
川沿いにはあまり見かけない草が沢山生えてるんだけど。
これなんていう草なんだろうか。
さて、そろそろ大仏鉄道の遺構がある場所かな。
夏らしい景観が美しい観音寺橋台
ようやく見えて来た。
観音寺橋台。
奥にある橋梁が現在のJR西日本大和路線の橋梁。
手前にあるのが明治時代の大仏鉄道の橋梁。
大仏鉄道とほとんど同じような路線を走っているのになぜ、新たに橋梁を作ったのか。
そんな疑問が残る。
こりゃミステリーだな。
誰かこの謎を解明してほしい。
竹林の小道を抜けて鹿背山橋台へ
観音寺橋台を越えて、涼しげな竹林の小道を。
小さな峠の山道を歩いていると、視線を感じたので顔を上げてみると・・・
ビビったわ。
ヘルメットをかぶったマネキンというか案山子というか。
なんなんだよこれは。
さて、そろそろ鹿背山橋台とな。
鹿背山橋台は水路の湿気を受けて艶やかに光る橋台の姿に魅了される人も多く、大仏鉄道の遺構のなかでも、とりわけ人気の高いスポットなんだとか。
梶ヶ谷隧道と赤橋
涼しげな山道を抜けると、灼熱のアスファルト道。
今日は気温30度近くの真夏日。
とはいえ案内板の標識通りに歩くと、田んぼのあぜ道のような場所に。
で、こちらが梶ヶ谷隧道。
シンプルなレンガ積みの隧道。
梶ヶ谷隧道のすぐ近くにあるのが赤橋。
加茂駅前の観光案内所にあったポスターの撮影場所がここ。
この上を汽車が走っていたなんて・・・
松谷川隧道へ
赤橋から、次の遺構、松谷川隧道まではかなりの距離がある。
その道沿いにあったこのレトロな建物。
そもそも分校だった校舎を活用した観光案内所兼カフェ。
ここでペットボトルのお茶を購入。
なんだかすごい大通りに出て来た。
本当にこの道が大仏鉄道跡なのだろうか。
と少々不安になっていると・・・
あったわ。
関西鉄道の社章のモニュメントが。
大通りの下に松谷川隧道があるとの事。
農道水道として使われていたもよう。
鹿川隧道へと向かい、国境食堂で天ざるをいただく。
再び大通りを歩いていると、なにやら立派なレンガ造りの建物が・・・
なにかと思えば水道局の建物のようで、タツタタワーというらしい。
ここにも大仏鉄道の説明があるのだけれど。
され、続いては鹿川隧道。
京都側には大仏鉄道の遺構が残っているのだけれど、奈良側にはあまり残っていなく。
鹿川隧道は奈良県側唯一残っている大仏鉄道隧道の遺構。
さて、時間は13時。
腹が減ったので峠の食堂に立ち寄る。
「国境食堂」という食堂。
ここはカツ丼が名物らしい。
お店に入って驚いた。
ほぼ満席。
平日にも限らずこの賑わい。
むしろ平日だからなのかも知れない。
サラリーマンと思われるお客さんも多い印象。
近所で人気店なのだろうか。
せっかくなのでカツ丼をいただきたいのだけれどこの暑さでは喉が通らない。
で、天ざるを注文。
950円なり。
終着点、大仏鉄道公園へ
腹を満たしていざ出発。
こちらは大仏鉄道の黒髪山トンネル跡。
そもそもはこんな感じのトンネルだったそうだが、昭和41年以降、道路の拡張工事で撤去されたそうな。
で、歩くこと約13㎞。
ようやく大仏鉄道終着駅の大佛鐡道記念公園に到着。
なんだか小さい記念公園。
奈良の大仏詣での人達がこの駅で下車して一条通りを通って東大寺に参拝していたそうな。
しかしながらその痕跡は全く残っておらず。
まさに幻の鉄道なのである。
ということで明治の鉄道ロマンに浸りながらJR奈良駅まで歩いて家路へと向かう。
そんな今日一日だったとさ。
ではでは。