暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

異世界感が漂う墓地、奈良県にある天誅組義士墓所、湯ノ谷墓地を訪ねる。

天誅組義士墓所

さて、この場所はどこでしょう。
現代の光景とは思えない異世界感が漂う古代の遺跡のような雰囲気。
場所は奈良県東吉野村。

天誅組義士墓所

まるで卒塔婆(そとば)のように立ち並ぶ無数の木製の墓標。
ここは明治維新の魁と言われる天誅組義士9名が眠る湯ノ谷墓地。

天誅組(てんちゅうぐみ)とは大和の五條で結成された尊王攘夷派の志士達。
尊王攘夷派として最初の武装蜂起を実行し、現奈良県五條市である五條代官所を襲撃し、幕府による統治排除を宣言する。

しかし、天誅組(てんちゅうぐみ)が五條代官所を襲撃した翌日、幕府側は尊王攘夷派の公家と長州藩兵を京都から追放。
幕府側も激しく尊王攘夷派に抵抗する姿勢を見せる。

そして幕府は天誅組(てんちゅうぐみ)に対して追討軍を向かわせる。
天誅組は、奈良県十津川郷で兵を募り追討軍に備えるという作戦に出でて、1,000人近くの十津川郷士が天辻峠(現五條市大塔町)に集まったそうな。

その後、天誅組(てんちゅうぐみ)は幕府に奇襲攻撃を仕掛けるものの、圧倒的な幕府側の勢力に押され、奈良の山奥である天辻峠に退却。

その山奥まで紀州藩・藤堂藩の追討軍が迫ってきたため、天誅組(てんちゅうぐみ)はさらに十津川の山奥まで退去したが東吉野で天誅組(てんちゅうぐみ)は壊滅。
挙兵からわずか1ヶ月あまりで天誅組(てんちゅうぐみ)は壊滅した。

誅組の挙兵は、尊王攘夷派による初の武装蜂起であり、5年後の明治維新の魁となるものとして、ここ奈良県東吉野村が明治維新の魁と言われている。

こちらが天誅組義士墓所湯ノ谷墓地の入口。
鹿や猪の墓地への侵入を阻止するために柵が設けられているが、天誅組義士墓所湯ノ谷墓地に入る人は自由に出入り下さいと書いてある。

湯之谷墓地には、藤本津之助(鉄石)、松本謙三郎(奎堂)、森下猪久馬(幾馬)
福浦元吉、村上万吉のお墓がある。

いや~なんとも歴史を感じる墓地の情景。
こんな古い墓地の情景は日本広しとはいえそうそう残ってないと思うんだな。
ってことで今日はこれまで。
ではでは。