暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

苦手だったものは昭和40年代50年代の野球知ってて当たり前という社会かな


今週のお題「苦手だったもの」でふと子供の頃は野球の話題が苦手だったなぁ~と。
私は幼少期、まったく野球が好きではなかった。
が、父親は昭和40年代50年代の父親がみなそうであったように野球が大好きであった。
我が家に1台しかないテレビのゴールデンタイムはもちろん野球中継にチャンネルを合わすし、近鉄バッファローズの帽子を私にかぶせ、さも野球少年のようにみせかけた。

まぁ当時は私のような野球にぜんぜん興味がない子供は少数派であった。

お盆や正月に親戚一同が集まった時などはみな終始野球、もしくは甲子園の話ばかり。
みな自分が監督になった気分で、誰が調子悪いやら、誰だれは元何々高校出身だとか。
そんな話が夜遅くまで続く。
同年代の親戚の子も野球好きなので大人の会話にそれなりにうまく混ざっている。
当然私はそのような話題についていくことも出来ず、何を言っているのかチンプンカンプンである。

また当時は子供会ごとに少年野球チームがあり、これに参加しないといけない。
まぁ自由参加なんだけど、大半の子供が参加していたため参加することが前提であった。
ましてや私の父親が監督を務めていたので私の参加はほぼ強制に近いし、私も当然参加するのはいやいやながら当たり前と思っていた。

私の運動神経は悪くない。
むしろ学年でもトップクラスの足の速さを誇り、クラス対抗リレーではいつもアンカーを走っていたほどの運動神経である。

野球のルールもそれなりに知っており、足の速さを活かしてセンターで活躍した。

が、興味がないので野球用語を全然しらない。

とある試合で2塁打を打って出塁した私。
次のバッターが大きなフライを打ったので、全力で3塁を蹴って走ったその先に・・・

父親が「フェア!フェア!」と私に向かって大声で叫んでいる。
私は全力疾走をゆるめた。

「フェアって何よ!フェアって?」
そう頭の中で思った。

足をゆるめた私に向かってさらに強い口調で父親は「フェア!フェア!」って叫んだ。
私は「フェア」という言葉が何を意味しているのか知らないが、これは急いで走れ!ということなんだろうととっさに感じ、そのままバックホームへと走り込んだ。

その後、私の頭の中は「あのオヤジ、俺の知らん野球用語を使いやがったな!」

ってことでいっぱいになり、50歳となった現在、この試合で勝利したのか負けたのかの記憶は全くなく。

「フェアという俺の知らない野球用語を使ったなぁ!」

という記憶だけが鮮明に残っている。

なぜいつものように「走れ!走れ!」と言わなかったのか。

そんな記憶が蘇った今週のお題でしたとさ。

まぁ昭和40年~50年代に幼少期を送った人で野球が好きではなかった方は同じような思いをしてるんじゃないかな。

野球チームはどこのファン?
とか当たり前のように聞かれたし・・・

っていうことでくだらん話ですまん。
最近平凡な日常を過ごしているもので記事ネタがないんだよな。

ではでは。