さてさて、今日は雨模様ですね。
あいにくの天気に何処に行こうかなぁと思いながらもやって来たのは大阪府立近つ飛鳥博物館。
山のふもとの田舎道を何度も曲がりながら、こんな細い生活道路の先に本当に府立博物館なぞあるのだろうかと思いながら車を進めていると、急に素朴な山の景色にドカンと現れた近代建築。
これは安藤忠雄だと分かりやすいコンクリートの打ちっぱなしの建物。
知らずに来た人は新興宗教の聖地かなぁ。
なんて思ってしまうだろう。
巨大な階段状の建物。
エントランスへとつながるアプローチ。
このシルエットが安藤忠雄っぽいなぁ。
ここは1994年に建てられた建物で当時、日本芸術大賞を受賞している。
かなり堅牢で立派な建物なんだけど、その総工費と維持費をカバーできるほどの利用者がいるのだろうか?
さっそく中に入ってみると、随分と余白のあるスペース。
エントランスには小さなカフェがあり、地元の人で賑わっている印象。
博物館の入館料は大人310円。
府立なのでかなり安い。
博物館へと入るとまずは飛鳥時代の聖徳太子ゾーン。
ここから先を進むごとに古代国家時代の展示へと進む感じ。
博物館は1階、中地階、地階の吹き抜けのスロープ構造となっており、その中央には仁徳天皇陵の建造当時のジオラマが展示されている。
博物館内はかなり見晴らしがよく、スペースもゆったりとしている。
ちなみに館内で見学をしているのは私一人とカップル1組のみ。
休日だというのにあまりにお粗末な集客人数ではなかろうか。
建物はこんなにも立派だというのに。
館内には様々な形をした埴輪が展示されている。
いうまでもなく、ここ大阪の河内平野は古墳の宝庫。
全国の人が知っているか知らないかは知らぬが大阪の百舌鳥古市古墳群は2019年にユネスコ世界遺産に登録され、南大阪では近年、古墳押しが過ぎるのだ。
まぁ世界遺産に登録されたこともあるし、今はちょっとした古事記ブームでもあるので古代国家に興味がある人がもう少しここを訪れているのかもしれん。
そう思って訪ねてみたが、全然人がいない。
この埴輪、すごくSFっぽくない?
こういう独特の形状をした埴輪を見ると、宇宙人飛来説や、未来人がワームホールで古代へとやって来ていたというオカルト的な話もまんざらでもないような気がするんだよな。
こちらは4世紀~5世紀ごろの兜。
うわ~動物の皮じゃん!
こんな兜初めてみたわぁ。
こんな兜もあるのかぁ~。
甲冑しか知らなかったが、なんかこんな世界観があったとは・・・
古代国家って結構面白そう。
こちらは古代時代の大阪の地理だな。
高安より北は沼というか池というか水辺だったんだな。
そして森之宮のすぐ近くが海辺。
上町大地のすぐ西側まで海だったんだな。
そして上町大地の南側は水辺となっている。
ほほん、ちょっと興味が湧いてきたぞ。
うそーん!
古代時代にはもうタコ壺漁があったのか。
って古代の人ってどうやってタコを食していたのだろうか。
古代とはいえ思いのほか道具も充実しているし。
こういう愛嬌あるユニークな埴輪も面白なぁ。
こちらは石棺。
この頃からデザインをするという概念があったのだろうか。
様々な形状の石棺があるんだな。
こちらはどのようにして人が収まめされていたかという展示。
さてとスロープを下りてきて仁徳天皇陵のジオラマへと。
これがかなり細かなジオラマだったぞ。
米粒ぐらいの人なんだ。
老眼の私はじっくりと見ないとな。
いや~細かい。
目を凝らして見ないと何をやっているシーンなのか分からないぐらい細かい。
まぁじっくりと見ても何をしているシーンなのか分からないジオラマもあるんだけど。
なんか柿のような木のみを棒でつついてるね。
これはなんのシーンだ。
お昼寝中なのかな。
こちらは狩りのシーンだな。
さてさて、ジオラマコーナーも堪能し、こちらは馬の墓から出土した馬の骨だという。
馬もちゃんと土葬されていたんだな。
いや~あまりある巨大なスペースの大阪府立近つ飛鳥博物館。
その建物自体は見る価値ありという評価も多いが、私は展示物もなかなかに興味が湧いた。
古代時代ってなかなかミステリアスで面白そうだ。
大阪の南側に近鉄南大阪線「土師ノ里」という駅がある。
ここは道明寺という地名でその昔、古代豪族の土師氏が繁栄した場所。
土師氏は技術集団で4世紀~6世紀に古墳造営や葬送儀礼に関った氏族。
多種多様な埴輪の造形も土師氏が発展させていったものだと考えられる。
あのSFっぽい埴輪の造形も土師氏が作ったものなのか?
なんだかそうのような思いをはせると古代時代も面白いよね。
ちなみに土師氏の祖は「日本書紀」の記載によると相撲の起源である人物なのだ。
その名は野見宿禰(のみのすくね)という。
日本書紀によると、大和の国(奈良県)の當麻に「當麻蹶速」(たいまのけはや)という人物あり。
腕っぷしがめっぽう強く、素手で角を折るほどの剛腕を誇っていた。
日ごろから「自分と力比べを互角にする相手はいない」と言っていたそうな。
その噂を聞いた帝は、家臣で「當麻蹶速」(たいまのけはや)と互角に戦えるものはいないかと問う。
すると出雲の国に「野見宿禰」(のみのすくね)という剛腕がいるそうな。
さっそく呼び寄せて戦わせると長い戦いの末「野見宿禰」(のみのすくね)の勝利。
「當麻蹶速」(たいまのけはや)はこの戦いで命を落としたのだそう。
この力比べが国技である相撲の起源と言われている。
この戦いで勝利した「野見宿禰」(のみのすくね)には「土師」という性が与えられ土師氏の始まりとされる。
「野見宿禰」(のみのすくね)が土師氏の祖となり、その後、どのような経緯を辿って古墳造営や葬送儀礼に関った氏族となったのか。
そんな事が気になった今日この頃です。
ではでは。