暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

虚無僧(こむそう)とは何者なのか。

写真は2018年に奈良県の室生寺で撮影した虚無僧の姿。
近年、めっきり見かけなくなった虚無僧。
天蓋(てんがい)と呼ばれる大きく深い編笹をかぶり、手には尺八を持って修行をする僧。

そのミステリアスで謎めいた風貌から時代劇や漫画などのキャラクターとしてよく登場し、隠密行動や情報収集キャラとして描かれることも多い。

さて、そんな虚無僧(こむそう)とは一体何者なのか。
ちょっと気になったので調べた事を端的にまとめたいと思う。

まず、虚無僧の宗派は普化宗(ふけしゅう)といい、日本仏教の禅宗のひとつなのだと。
 虚無宗(こむしゅう)とも言うらしい。

禅宗だから、尺八を吹いて全国を行脚し、無心の悟りを開くというものだったのだろう。

そもそもはれっきとした宗派の修行僧であったが、江戸時代に組織化され、幕府に利用されるような一面もある。

徳川幕府は虚無僧を幕府公認の僧として扱い、関所を通る時も深々とかぶった天蓋を脱ぐことなく、関所が通れたのだとか。

虚無僧には武家出身者も多く、僧でありながら刀の帯刀を幕府も認めており、武者修行や仇討ちを目的に虚無僧になるものもいた。

まぁこれは時代劇のイメージ通りだ。
史実としても腕自慢の虚無僧が存在し、広島の福山藩初代藩主である水野勝成は徳川家康の従兄弟でありながら、家も名も捨て、虚無僧として裸一貫で諸国を放浪し戦国の世で様々な戦に参戦したそうな。

また、罪人なども虚無僧の姿となって身を隠したり、幕府公認の隠密活動としての虚無僧が重宝されていたらしい。

それだけ江戸幕府との関係が深った虚無僧ですが、明治時代には、江戸幕府との関係の深さに目を付けられ、普化宗(ふけしゅう)は明治政府に強制廃止されるのです。

虚無僧の宗派である普化宗(ふけしゅう)は消滅しますが、その後、地方には宗派が残り、明治以降も虚無僧は半僧半俗として世に存在する。

こうして調べてみると、時代劇の虚無僧のキャラ設定って史実に基づいたものだったんだな。

隠密行動もするし、仇討ちが目的で虚無僧になる者もいた。
また罪人の逃避行のために虚無僧になる者もあり、江戸幕府がそれを利用していたというのが、新たな発見であった。

諜報、隠密活動といえば忍者が有名だが、虚無僧もまた実力のしれないミステリアスな存在として忍者同等に特別な存在だったのだと思う。

そういう意味で海外の忍者好きにはぜひ虚無僧にも注目してもらいたい。

ということで今日はこれまで。
ではでは。