この写真を見てほしい。
マンションや商店が立ち並ぶ市街地の中に、何やら違和感を感じないだろうか。
それはトタン屋根の住宅密集地帯である。
まるで昭和の時代からここだけ時間が止まったような印象。
周りは近代的な建物に囲まれおり、ここだけあからさまに取り残されている。
調べてみると第二次世界大戦にも深く関わりのある場所だと分かった。
その検証は後ほど・・・
トタン屋根の向こうを走るのはJR大和路線の221系電車。
トタン屋根から伸びる煙突の情景などは、私が幼少の頃に眺めた昭和の暮らしぶりそのもの。
確実にこのエリアだけ時代がとまっている。
こちらはトタン村への入口。
誰がトタン村と言い始めたのか定かでないが、地元の人間はこのエリアに関心はほとんどない。
Youtubeではいくつか紹介動画がアップされているのでユーチューバーが名付けたのかもしれん。
場所は大阪八尾市天王寺屋と呼ばれる場所で、JR志紀駅より歩いて約5分程度の場所。
国道25号線沿いの北側にあるエリア。
プロパンガスを使用しているという事は市街地にもかかわらず、ここだけ都市ガスが来ていないという事なのか・・・
すぐ隣に建つビルとのコントラストが、さもこのエリアの異様な佇まいを強調する。
ちなみに廃墟という事ではない。
今でも住居として暮らしている人がいる。
では一体なぜ、このエリアだけ未舗装道路で都市ガスも来ていないのか。
思うに、このエリア全体が私有地として登録されているのだろう。
通常なら住宅地に侵入する支道は市道として市に申請することで、市の責任でインフラが引かれ、道路のメンテナンスをしてくれる。
しかし私有地であれば市は手が出せないのである。
このエリアの土地を誰かひとりが所有しているであれば再開発は容易なのだが、この場所は住民一人ひとりが土地を持っており、複雑な土地構成になっているのだろう。
長年、土地の持ち主同士の同意形成がなされぬまま、周囲だけが開発されていっただために、時代がとまったままの状態で残された。
さて、気になるのが、いったいいつ頃からこの異世界の住宅エリアが存在していたのか。
ということで国土地理院のサイトで昔の航空写真を調べてみた。
写真は1936年~1942年頃の航空写真。
1941年には第二次世界大戦に参戦しているので、戦時中の航空写真なのかも知れん。
軍事工場や軍施設があったのか黒く塗りつぶされているのでトタン村あたりの存在は確認できない。
国道25号線やJR大和路線が当時からあるのが分かる。
右側あたり、長瀬川沿いに弓削の集落が存在する。
後は田んぼばかりだ。
写真は1945年~1950年の航空写真。
トタン村の形がはっきりと見える。
現在とほぼ変わらない建物のシルエット。
先ほどの戦時中の航空写真で墨塗りされていたあたりから開発が進んでいるようなので、やはり兵器工場とかそのような類のものがあったのでなかろうか。
写真は1961年~1969年の写真。
かなり周りの開発が進んでいるようだ。
写真は1974年~1978年の航空写真。
もうだいぶと市街地化している。
写真は一気に2007年。
市街地の中にポツンと残されたトタン村。
これ見てよ。
2007年の航空写真。
トタン村から八尾飛行場ってめちゃくちゃ近いんだ。
八尾空港は戦時中は大正陸軍飛行場として、大日本帝国陸軍が京阪神の防空のために使用していたんだな。
思うに、トタン村は第二次世界大戦中に、武器や軍装備品に関係する町工場として出発しているのだと思う。
国土地理院の1936年~1942年頃の航空写真を見てみると八尾空港とトタン村あたり、また現在のJR志紀駅があるあたりが黒く墨塗りされている。
こういうの生生しいよね。
JR志紀駅あたりは戦時中は汽車運送の主要駅だったのか、かなり広範囲にわたって墨塗りされている。
いや~単なる珍スポットの紹介として記事を書こうと思っていたけど・・・
深く調べてみると面白いミステリーエリアであった。
ってことで今日はこれまで。
ではでは。