暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

書くためだけの話題作りのコンテンツマーケティングが向かう先でSDG'sとかを叫ぶ

もう、やれやれって感じなんだ。
●100均セリアで見つけたら即買いおすすめ商品・・・・とか
●ワークマンの防寒着がコスパ最高でこの冬マストバイ・・・・とか
●GUのセットアップが万能すぎる、高見えコーデ・・・・とか
●ユニクロの今すぐ使える最強コート・・・・とか

の記事ってなんか記事ネタに困った時にただただ記事が書きたかっただけやろ。
って思ってしまう。

概ねこのようなタイトルの記事の内容からは熱量が伝わってこないことが多い。
憶測ですが、このような記事を見ているユーザーって同じく記事ネタに困ったユーザーがネタ探しに徘徊しているのだと感じている。

そして、100均やワークマンの話題性ってもうこすりまくってるよね。
まだこするかって感じが否めなく、なんだか痛い感じがするんだよね。

記事ネタに困った人が記事をあさって記事を作る。
その記事をこれまた記事ネタに困った人がまた記事をあさって記事を作る。

こりゃいったい社会の何の貢献になっているのだろうか・・・

なんだかしっちゃかめっちゃかの状態でこんがらがっちゃって
ラメちゃったらギチョンチョンでパイのパイのパイって感じ。

これ、デジタルだから資源がどうのこうのっていう物ではないけど。
SDG'sとかを叫ぶ企業が配信するコンテンツなのだが、結局は持続可能なコンテンツとは思ってないんだろうな・・・

決してデタラメのコンテンツではないんだけど、誰の感情も揺さぶらない。
情報量だけ担保できればいい、もしくは一定のアクセス数があればいい。
てな感じなんだろうけど、そのアクセス数や話題性って結局は記事ネタ探しのユーザーによってもたらせるものなんじゃない。

記事ネタ探しのための記事であって、記事ネタ探しの領域を出ない熱量。
だから100均とかワークマンとかをこすりまくるんだろうな。

もうそこに話題性はないよ。

そしてそこに人の気配が感じられないんだ。
その記事を書いた人の熱量とか、メッセージ性とかが欠けている。

私はブログを愛しているが、それは人となりが分かるからこそ面白く、情報収集としてなりたっている。

無味乾燥な記事にどんな存在理由があるのだろうか。

そういえば数年前にDeNAが運営する医療健康情報サイトの「ウェルク(WELQ)」の問題とか、女性向けファッション情報サイト「MERY」の閉鎖とかあったなぁ。

当時はキュレーションサイトとか呼ばれていたよね。

あれから記事を書いている世代も変わってるんだと思うんだけど。
過去の事件を知らない人もいるんだろうね。

そんなことを思う今日この頃です。
ではでは。