
さてさて、今日は大阪富田林霊園までお墓参り。
その帰りに千早赤坂村の下赤坂の棚田でも撮影して歩こうかとやって来た。
千早赤阪村は楠木正成の本拠地である。

今日は雲があるとはいえ、大阪の気温は38度。
熱中症対策をして散策をしなければならん。







全国的に雨不足で渇水とのこと。
米の生育に影響があると聞くが・・・
ここは金剛山からの湧き水に恵まれているのだろう。
透き通った清らかな水が水田に注がれている。


田んぼの向こうにはあべのハルカスのシルエットがかすかに見える。



今年初めて見たトノサマガエル
子供の頃は家の裏の田んぼでしょっちゅう見かけたのだが。
令和となった大阪では田舎の方に行かないと見かけなくなった。







イトトンボも地元じゃぜんぜん見かけなくなったもんだ。










いやいや、改めて水が豊かな場所って生き物も豊かなんだなと。
今更ながら水って大切。
ってことで今日はこれまで。
ではでは。

国史跡 赤坂城跡(下赤坂城跡)
標高185.7m、比高61.4m。
金剛山地から延びる丘陵の自然地形を利用して築城された中世山城です。
この城は鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成によって築城されたといわれています。元弘元年(1331)、鎌倉幕府討幕計画が発覚し後醍醐天皇が笠置山へ逃れました。
正成はこれにあわせてこの地で挙兵し、護良親王も当地に身を寄せたと伝えられています。幕府軍が攻め寄せてきた合戦の様子は「太平記」に記述されています。
しかし、にわか造りのため落城、正成は金剛山へと後退しました。
その後、元弘2年(1332)に正成は再起し、この城を奪還しました。
ふたたびこの城は落城しますが、千早城での籠城の間に鎌倉幕府は滅亡しました。
城としての遺構は明確になっていませんが、千早赤坂村役場の上付近が主郭(本丸)であったといわれています。
昭和9年3月に国史跡に指定されました。



