暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

日本最強の城、高取城跡へ、関西低山登山におススメの場所

日本最強の城、高取城跡

さてさて、今回は奈良県高市高取町へ。
日本三大山城である高取城とその城下町を訪ねてみる。

 

ちなみに日本三大山城って何?って方
■岐阜県の美濃岩村城
■岡山県の備中松山城
■奈良県の高取城

が、日本三大山城といわれている。
それぞれ幕末までお城として機能をしていたもので
それぞれが日本一たる特徴を持った城の事。

 

写真は高取町の観光駐車場。
無料で駐車することが可能ですが

駐車スペースは広くなく、
この日は私の車を停めてほぼ満車状態。

 

 

まずは観光案内所である夢創館で情報収集

日本最強の城、高取城跡

先ほどの駐車場から50mほど離れた場所にある
観光案内所兼地場産品の販売をしている夢創館へ。

 

ここで案内をしているおじさんがとても親切で
高取町の成り立ちや歴史を分かりやすく説明をしてくれた。

 

日本最強の城、高取城跡

観光ガイドブックや高取城跡のガイドブックなどを入手。
おじさんが親切にガイドブック一式を手渡してくれた。

高取城までの時間を訪ねると
片道1時間30分。
往復で3時間程度の道のりなのだとか。

ちなみに車でも高取城跡の近くまでは行けるとの事。
まぁ今回は歩いていくつもり。

 

日本最強の城、高取城跡

また、こちらの夢創館でいただいた高取城のカード。
これ、高取城の石垣で自撮りをするともらえるとの事。
これもおじさんから聞いた情報。

せっかくなので自撮りをしてもらってきた。
高取城を訪ねる際はぜひ、夢造館を訪ねる事をおススメする。

 

日本最強の城、高取城跡

高取町は昔から土佐と呼ばれていた。
なぜ土佐なのかというと
奈良時代、大和朝廷より土佐の国からこの地に召し出された人々が
任務を終えたものの、朝廷の援助なく帰る事がかなわずこの地に住み着いたのだとか。

 

また高取町は薬で繁栄したのだとか。
ここ土佐街道から高取山には薬草園が広がっていたとの事。

そんなわけで夢創館の裏の蔵はくすり資料館となっている。

 

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

レトロな薬袋はバラエティ豊かで見ていて楽しい。

 

 なぜ高取城は日本最強なのか

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登山道の至る個所にのぼりが。
日本最強の城 高取城

と書いてある。

いったい何が日本最強なのか?

 

日本最強の城、高取城跡

最強その1
まずはその広大さ。

黒門をくぐった郭内の周囲は28㎞にもおよび
その面積は6000万㎡にもおよぶ。

 

最強その2

高低差が日本一。

標高は583.6mで、これより高い位置にある山城はあるものの
城下町からの高低差は446mあり、この高低差が日本一なのだとか

この広大さと高さから日本最強の城といわれるとの事。

 

しかしよくこんな山の上に大きな城を築いたものだな。
ちなみに地元の人曰く、
この高取城の再現CGが出来てから
この地を訪ねる観光客がどっと増えたのだとか

 

いよいよ高取山を登る

日本最強の城、高取城跡

高取山への登山ルートはいたってシンプル。
土佐街道を一直線に進むのみ。

 

土佐街道には古い建物がいくつか残っている。
こちらは武家屋敷の長屋門。

 

日本最強の城、高取城跡

こちらは高取藩の家老・中谷家の長屋門。

 

日本最強の城、高取城跡

水車などもあり、
日本らしい里山の景色を楽しみながら進む。

 

日本最強の城、高取城跡

しばらく舗装された道を歩く。

途中、登山者用の公衆トイレもあり。

 

日本最強の城、高取城跡

見えてきたのは砂防公園。
その奥には随分と立派な日本家屋が見える。

 

日本最強の城、高取城跡

砂防公園、宗泉寺を超えると道幅が狭くなり、
いよいよ登山という景色へと変わる。

 

日本最強の城、高取城跡

いよいよ山登りのはじまりです。
このあたりは別所郭と呼ばれ、高取山中に点在する曲輪(防御陣地など)のひとつです。


植村家の菩提寺(初代植村藩主の邸宅跡)である宗泉寺を中心に侍屋敷の平場が連なっており、曲輪の入り口には高取城の一の門である黒門がありました。


黒門跡から本丸までは高低差が約350mあります。


高取城を築城した約400年前、石垣の石を運び上げた当時の人々の気持ちになって登るのも一興。


それぞれの楽しみ方で高取城跡を満喫してください。

ここから本丸まで1,836m

だって。

どうやら小さい子供を連れた家族でも登れる山のようだ。

 

 

日本最強の城、高取城跡

進むにつれ、山深くなる登山道。
鳥の鳴き声が頻繁に聞こえ、川のせせらぎとともに自然を満喫する。

 

 

日本最強の城、高取城跡

 これからの曲がりくねった道は、古くから「七曲り」と呼ばれています。
尾根につくられた大手道で、くねくねと曲がっています。


道が曲がっているため、戦の際にはなかなか上へは進めません。

 

城内には「竹皮」を入れておく「竹櫓」があり、敵の侵入を防ぐため竹皮をまきすべりやすくしたり、竹を倒して敵を防いだと伝えられています。


くれぐれも足元にお気をつけて登ってください。

ここから本丸まで1,704m

だって。

 

城の防御もいろいろと考えられているもんなんだな。

自分ならこの高取城をどうのように攻めるか?
そんなことを考えながら登るのも面白そうだ。

 

日本最強の城、高取城跡

歩くこと約30分ほど経過。
ちょっと額から汗がにじみ出てきた。

それほど急な登りはないけれど、
足元には大きな石ころなどもあり、
少々歩きづらい。

 

日本最強の城、高取城跡

城下町から城へと登るこの道は、古くから「大手道」と呼ばれ、往時は今より道幅は広く、馬や駕籠が行き交っていました。


これから長い一直線の上り坂が続きますが、この坂は古くから「一升坂」と呼ばれています。


この「一升坂」という名称は、高取城築城の際に、急坂であるため石材を運ぶ人夫に米一升を加増したことによるといわれています。


それほどの難所であったことが、坂の名勝の云われとなっています。

ここから本丸まで1,154m

だって。

 

ようやく半分ほどの道のりまで来たって事かな。

 

日本最強の城、高取城跡

一升坂といわれる難所を登る。

ここを登りきると高取城まではあと少し。

午前中に登った登山者とたびたび行き違う。

 

日本最強の城、高取城跡

こちら猿石と呼ばる目印。

 

表札には

高取城二の門外に所在し城下町に下る大手筋と明日香栢森へ下る道筋の分岐点に位置する。


花崗岩製で高さ85㎝幅65㎝を測る。
目と鼻は円形で顔面は丸く平坦である。
口元の両端をあげ耳は顔側面の全体にとる。

 

手は右手をややあげている。
陽物らしい表現もみられる。
背中にも表現がみられるが明確ではない。

 

飛鳥の「猿石」と同様に現在の明日香村平田から掘り出され高取城築城の際に石垣材として運ぶ途中にこの場所に置かれたようである。

 

飛鳥時代の製作と考えられている。
猿石がのせられている台石は古墳の石材の可能性がある。

とな。

 

石垣用の石材としてここまで運んできたものの
ちょっと面白そうだから
ここに目印として置いておこう。

 

そんな感じなんかな。
昔の人にもおちゃめな人がいたもんだ。

 

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

この場所には、高取城の「二の門」がありました。
「二の門」は、三つかる城内への入り口のひとつです。


門の前には山城では珍しい水堀(池)があり、堀の両端を堤にて堰き止めています。
また「二の門」へは、この西側の堤の上に架けられた、欄干の付いた橋を渡っていました。


この水堀は大阪湾に注ぐ大和川の支流「高取川」の源流です。


また、大手道と明日香村栢森への分岐点には飛鳥時代の石造物である猿石が置かれています。


ここから本丸まで高低差が約110mあり、「日本一の山城」にふさわしいほかにはない規模の城であったことを物語っています。

ここから本丸まで872m

とな。

 

欄干付きの渡橋が架けてあったとは・・・
さぞ美しい光景であったろうなぁ。

さて、ここからはもう城内

 

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

城内には石垣の残骸であろう
大きな石がごろごろと。

 

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

本丸までの道のりにはたくさんの門があったようだ。
こちらは松ノ門跡。

 

日本最強の城、高取城跡

城内を進むこと本丸まで後360m。


日本最強の城、高取城跡

こちらは宇陀門跡。

日本最強の城、高取城跡

こちらは千早門跡。
こちらの上に城代屋敷があったのだそう。
いったいどれほどの門があったのだろう。

 

日本最強の城、高取城跡

なんとも城らしくなってきた。
きれいに石垣が残っている。

 

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

こちらは大手門。

 

日本最強の城、高取城跡

こちらの場所には、高取城の「大手門」がありました。
大手門は「御城門」とも呼ばれ、城内への入り口である「二の門」「壷坂口門」「吉野口門」から城内に進むと、この大手門が二の丸、本丸への唯一の入り口です。


本丸はまさに高取城の中心であり、高取山の最高所(標高583.61m)にあります。


二の丸は高取城で一番広く日当たりのよい平場があり、藩主の屋敷や政庁がありました。

本丸と二の丸からは気象条件により葛城・金剛山の山並みから広大な吉野地域を望むことができます。


本丸まであと少し、がんばってください。


ここから本丸まで289m

だって。


いよいよ本丸へ

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

こちらが二の丸跡。

 

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

立派な石垣。
かなりの高さ。

 

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

本丸の石垣前の広場。
太鼓櫓跡などがある。

 

日本最強の城、高取城跡

御神木である大杉。
樹齢約700年だそう。

 

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

こちらが本丸の石垣。
さらに大きくて立派。

 

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

ここが本丸があった場所。
周りにはもみじや桜の木が植えてある。

 

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

城跡から眺める眺望に
みんな写真を撮っている。

 

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

はるか遠くまで見渡せる。
吉野の山々。

 

日本最強の城、高取城跡

本丸跡の石垣から下を見下ろす。
結構怖いほど高いんです。

 

日本最強の城、高取城跡

石垣と一緒に自撮りをすると高取城カードがもらえるという事で。
スマホで撮影した一枚。

 

 

日本最強の城、高取城跡

こちらは本丸から500mほど離れた場所にある
国見櫓と呼ばれる場所からの眺め。

 

日本最強の城、高取城跡

遥か彼方に六甲山の稜線まで見える。

 

日本最強の城、高取城跡

あべのハルカスのシルエットもはっきりと見える。
その奥にある山が六甲山。

 

さて時刻は3時。
そろそろ土佐街道に戻って
高取城カードをもらわないと・・・

 

土佐街道を散策

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

日本最強の城、高取城跡

 街道の両端に小さな水路が流れている風情のある街並み。

古い住宅は個人の家が多く、
お店などは少ないけれど、
昔の街道らしさを残す町並みを
眺めながら街歩きをするのも楽しいものです。

 

まとめ

日本最強の城、高取城跡

高取城跡のところどころで群生していた
シャガの花が印象的でした。

それにしてもどうやって山の上まで石垣の石材を運んだのだろう。


高取城が築城されたのは南北朝時代らしく
奈良から吉野へ通じる交通の要衝として重要な役割を担ってたとの事。

近世城郭の形となったのは安土桃山時代以降。
本多家が城主として改修を行い

その後、江戸時代に徳川家譜代の家臣であった植村家がこの城を引き継ぐ。

 

後、明治維新まで高取城は存続していた。
しかし廃藩置県により高取城は入札により大部分が取り壊された。

 

城下町から高取城までの道のりを昔の人はどのように往来していたのだろう。
馬や駕籠も交通するほど道幅は広かったらしい。

また、城下町から見上げる城の情景とはどのようなものだったのだろうか。

 

在りし日の高取城と古の城の営みなどは想像するしかないが、
せっかくこんな過酷な場所に建てられ、永く改修されてきた建物が
入札により解体されるとは・・・

なんとも自国の文化に誇りだとか敬拝とか

もっと大切にすべきだったのではないだろうか。

 

ではでは。