さて正月休みも後2日。
最終日には高野山に行くことを予定していた私。
毎年紅葉のシーズンともなるとカメラを持って物見遊山として高野山を訪れている。
昨年の紅葉シーズンにも高野山を訪れた。
いつも写真撮影に専念するばかりなので一度はゆっくり高野山を楽しもう。
そのような動機で正月休みに高野山探訪を計画した。
信仰の場所である高野山を楽しもうなんて書くと少々罰当たりなのだが・・・
で、今日から地元の図書館が開館されているので、さっそく年末に借りた本の返却にと図書館を訪れてみると、返却窓口は長蛇の列。
みんな考えることは同じだわ。
返却を終え、ブラブラといつもの本との出会いを楽しむための図書館散策。
そこで偶然見つけたのが片山恭一(著)「そうだ、高野山がある。」だった。
片山恭一って誰?
普段、小説を読まない私、後で調べるとなんと「世界の中心で、愛をさけぶ」を書いたベストセラー作家。
著者には失礼ながら「世界の中心で、愛をさけぶ」の社会現象は知っているものの、どのような内容の作品なのか全く知らない私。
その著者が高野山について書いているとはこちらの勝手なイメージなのだが意外性を感じた。
手に取った理由は単純で、明日高野山に行く予定だし、ガイドブックのような知識が増えれば楽しみ倍増かもしれん。
ましてた高野山について200ページ以上も書けるものなのか?
ガイドブックとしてなら相当な知識量なのでは
そんな理由。
読み始めてみるとこれはガイドブックではないことに早々に気づく。
そして何より著者が国内の信仰文化についてそれなりに造詣が深い事に驚いた。
高野山を訪れ、読誦するお経の内容や種類に関し、これまでの知見と比べて感じたことや、源氏物語を引用して比喩をするなど、また大和の万葉の歌を巡る旅などをしているエピソードも、なにやら歴史ファンでもあるようだ。
この本は実際に著者が高野山で宿坊に宿泊し、以前から興味があった空海の思想哲学を自分なりに解釈をするという心の内面で起こる新たな発見を記している本である。
著者ならではの現代社会における問題解釈に共感する部分もあり、資本主義の世界から眺めると空海の思想はまさに別世界といえよう。
その思想感を現代人っぽくカジュアルに表現しているので非常に読みやすい。
およそ3時間ほどで読了。
「そうだ京都、行こう」
は1993年からJR東海がキャンペーンとして使用してヒットしたコピーだが。
本タイトルを見てこのコピーがまず頭に浮かんだ。
「そうだ、高野山がある。」
なにやらJRの広告コピーを意識した怪しさを感じたことを否定はしないが、内容は現代社会の若者が感じる生きづらさだとか、モノ社会の充実よりも心の充実だとかに共通する側面もある。
西洋思想が根付いた現代社会に対して東洋思想らしい解釈を今風に説いている本なのである。
ただ少し残念なことは写真家が同行しているのにも関わらずその写真があまり活かしきれていない事かな。
その美しい情景に関して全く言及されていないのが残念。
高野山を訪れる人のは数は年間約200万人近く。
その一人一人が感じる空海の思想は人それぞれ。
そう考えると空海の偉業に感嘆するのである。
それでは明日は高野山へ行く準備があるので今日はこれまで。
ではでは。