さてさて、今日は今年初めてのバイクツーリング。
少しずつ暖かい日が続くようになりましたね。
今日は大阪府河内長野市から和歌山県東牟婁郡串本町に至る国道371号にて高野山を超えて奈良県野迫川村の廃村、野迫川村立里集落まで行こうと思う。
そしてこちらは玉川狭と言われるスポット。
高野山の雪解け水が流れる丹生川。
なんとも透き通った水が美しい。
さらに道を進んで高野山付近。
ここまで来ると山の尾根沿いを走るコース。
見えてくる景色も下界を見下ろす感じで、遠くの山の尾根を眺めながらの快走。
残雪はあるものの、路面状況はそれほど悪くない。
標高1000㎞を超えたかな。
雲がだいぶと近く感じる。
ようやく雲海で有名なスポット奈良県野迫川村にやっていた。
一度はここで雲海を撮影してみたいとは思っているのだが、早朝撮影は苦手なもので何度もこの地を訪れているが、雲海を一度も拝めたことはない。
野迫川村立里集落まであと6㎞というところで路面状況が最悪。
ここは無理せずこれ以上バイクで先の進むのは断念しよう。
致し方なく立里荒神社の駐車場にバイクを停めてここ先、6㎞の道のりを歩くことに。
結構な距離があるけど・・・
立里荒神社の裏には白樺を育成しているエリアが広がっている。
立里荒神社があるの場所は標高1260mらしい。
金剛山よりも高いのか。
白樺の林をしばらく歩くと何やら宿泊施設っぽい廃墟が・・・
立里荒神社詣での宿泊施設だったのかな。
それほど人が集まるようなメジャーなスポットではないと思うんだけど・・・
思いっきり窓ガラスが割れていて、ここで企業研修でもしていたのだろうか。
設置された黒板ボードには落書きがされている。
こちらは雲之上 ホテル開雲荘。
2012年頃まで営業をしていたみたいですが、その後閉館となった。
雲之上温泉の元湯として日帰り温泉などもしていたそうで。
ちなみに営業をしていたらとするとここが関西では最高所の温泉なんだそう。
全館和室の宿泊施設なんだって。
窓ガラスが割れている箇所もあるし、こんな山奥でも肝試しの連中が来るのだろうか。
さて、立里荒神社の廃宿泊施設の抜けると、ここから先の道は廃村立里集落(たてりしゅうらく)までの1本道。
しかも廃村で行き止まりなのでここから先はほぼこの道を行く人はいないだろう。
廃村の廃村立里集落(たてりしゅうらく)までは約5㎞。
その間、何か事故があっても誰も気が付いてくれないというほど人の気配がない道。
しかも廃村まで1つも集落がないので当然携帯の電波は繋がらない。
歩き始めの景色はかなり開けて良い景色なんだけど・・・
ガードレールの向こう側から何やら獣っぽい足跡を見つけてしまった。
穴の大きさからして鹿などではなさそうだし。
ましては人間の足跡がガードレールの向こう側から現れるのもおかしい。
まさか熊ではないだろうな。
いたるところに獣らしい足跡が・・・
しかもかなりの大物のような気がするのだが・・・
バイクを停めたのはあの鉄塔の麓なんだな。
まだ2㎞ほどしか来てないけどずいぶんと遠くに見えるもんだな。
こんな人気のない道を5㎞も独りぼっちで歩くのかよ。
結構心細いぞ!
変な鳥の鳴き声とか聞こえるし。
これって人の足跡じゃないよな。
鹿やイノシシよりも大きな足跡だし。
やっぱ熊がいんのかな。
なんかやっぱ心細い。
おや。
やっぱ熊いんのかよ。
って気が付かれぬうちに後ずさりを始めたのだが・・・
よくよく見ると・・・
なんだイノシシかよ!
熊じゃないんかよ。
脅かしやがって・・・
っていやいや野生のイノシシでも危険なんだぞ。
しかも2頭もいるし。
まあ見るからに興奮はしてなさそうだし、この距離だと襲ってはこないだろう。
まずはこちらの存在をイノシシに知ってもらわないと。
ってことで地面を足で3回ほど蹴って音を立てる。
2匹のイノシシはこちらの存在に気付いたみたいでこちらを見る。
両者しばらく目を合わせる。
イノシシは目が悪いから気づかなぁ~。
どうやら2匹のイノシシはこちらの存在に気付いたみたいで、危険を察知して山の中へと帰っていった。
が・・・
いやいやそっちの方角が私が進む進行方向なんだよね。
しばしイノシシを警戒しつつ山を下る。
歩くこと約40分ほど。
そろそろ集落が見えてきてもいいはずはんだけど。
谷も見えてきたことだし。
景色はすこぶるいいんだけどね。
人気のない道を歩くのは怖いんだよな。
ってことでようやく廃村の野迫川村立里集落へと到着。
車があるってことはこの集落に通う人がいるってことなんだろう。
集落なのでそれなりに開けた場所かと思っていただ、それほど広くない印象。
残っている建物は10軒ほどかな。
で、こちらが野迫川村立里集落にある旧立里小学校。
1982年に廃校になったそうな。
集落の規模からするとずいぶんと立派な小学校なような印象なんだが。
割れたガラス窓から中の覗いてみる。
40年前に廃校になったとは思えないほど、鮮明に残っている当時の小学生の絵。
ピアノなどもそのまま残っている。
教室の黒板には2016年8月31日(撮影)などと書いてある。
教室の数は2つかな。
1,2,3年の教室と、4,5,6年の教室。
各教室の真ん中に職員室がある感じ。
4,5,6年生の教室の黒板には何やら可愛らしいイラストが描かれている。
こちらは手洗い場だったのだろう。
蛇口などは無くなっていた。
こちらは宿直室なのかな。
畳敷きの部屋がある。
覗いてみると映写機なのか、機械が残されていた。
いやいやもう完全に廃村になってるな。
人気もないし。
とぼとぼと来た道を帰りますかな。
ってことで今日はこれまで。
ではでは。