ピエール瀧が麻薬取締容疑で身柄を拘束され、過去の作品の販売自粛だとか出演作品の放送自粛だとかがニュースサイトで話題になっている。
作品に罪はない。
との事でこの行為に疑問を投げかける人も多い。
私も作品に罪はないとも思う訳だが、それよりも過去にさかのぼるとキリがない。
まるで東京裁判のような、犯罪を犯す前の人生をも裁くという事になるのではないかと思う。
罪はこれから将来に向けて制裁されるはずだ。
過去にまでその罪が制裁されるとなると・・・
それはまさに東京裁判と同じである。
法律は制定されたその日から後に適用されるのが大原則。
法律が適用される前にさかのぼってまで、後から適用された法律で過去を裁くのはおかしい。
第二次大戦で敗戦した日本人の罪を裁くために開かれた東京裁判ではこのような事後法だと思われるものが適用され、罪になった戦犯も多い。
昨今の芸能人逮捕による過去作品への対応に事後法のようなイメージが重なるのは私だけ。
また、過去にさかのぼって作品を自粛したり、再編集をする事ってエネルギーの無駄遣いなのだとも考える。
再編集をすることで作品がよりクリエイティブなものとなるのなら前進している行為だが、労力を使って掘った穴を、再び労力を使ってまた埋めるという行為なら、過去には触れずに、未来に向けて新たなクリエイティブに労力を使った方が良い。
このあたりの判断基準は日本人の生産性の低さを物語る判断基準と被るのかも知れないと思う。
その判断は前向きなエネルギーなのか、後ろ向きなエネルギーなのか・・・
自ら掘った穴を自ら埋めるという不毛な行為に時間を浪費していないだろうか・・・
それなら前進して新たなクリエイティブに時間を使った方が人類のためになるのではなかろうか。
限りある時間と資源を考えるとそう思うのである。
過去の時間をさかのぼるよりもこれから先の将来に時間を使う。
きっとその方がみんな幸せになれるのだと思う。