暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

あの日病院で私が打ったのはモルヒネだったのかもしれない。病棟で体験した幻聴症状

さて、今週のお題「上半期ふりかえり2025」について。

2025年が明けて1月末。
私は入院をしていた。

1月末日、突然、腹痛が襲った。
腹が破裂するような激痛。
意識ははっきりとしているが夜に横になれないほどの激痛。
「痛い!」と口にしないと耐えられないほどだ。

救急車を呼ぼうか。

と思ったが、まずは7119に電話して看護師に救急車を呼ぶべきかどうかを相談した。
症状を説明し、嘔吐を繰り返していることを告げると・・・

看護師いわく、すぐに救急車を呼ぶべきだとのことだった。

そんな大げさな・・・

腹は痛いながらも歩けるし、意識もはっきりしている。
とにかく救急で対応している病院さえ分かれば自力で行ける。

私は119番に連絡した。

火事ですか?救急ですか?
との対応。

救急だが、事前に7119番に連絡し、救急車を呼ぶべきとの回答を得たことを伝え、とはいえ自力で病院に行けるので救急対応病院を教えてほしい旨を伝えた。

いくつか救急対応の病院を教えてもらったが、7119番で救急車を呼ぶべきと判断されたのはよっぽどの事なので、無理せず救急車を呼ぶべきだと言われた。

私はタクシーを呼んで、病院へと向かった。

診断の結果、膵炎だと・・・
アルコールによる内臓崩壊だ。

すぐさま入院を告げられ、手術や薬で治るものではなく、自己回復でしか治らない事を告げられた。

しかも股から採血をするとか、管を入れて尿量を計測するとか告げられた。

私は管を入れることだけは拒否をした。

左手に点滴、右手に採血。
右手の採決に失敗したらしく、私の上着は血まみれになった。

さて、看護師いわく、強力な痛み止めを打った。
痛み止めの効果はそれほどでもなかった。
ようするに痛みが全然引かない。

膵炎の軽度の痛みにはアセトアミノフェンやロキソニンなどのNSAIDsが使用される。
重症の場合は、より強力な麻薬性鎮痛剤が検討され、モルヒネ、オキシコドンなどが使用されることもあるだそう。

痛み止めの注射後、4,5時間の時間をおかないといけないそうだが、あまりの痛みのため、再び鎮痛剤を何度か注射した。

それでも痛みは治まらないが、心地の良い幻聴が聞こえだした。

真夜中の病棟にて。

かすかに軍艦マーチが聞こえてくる。

病棟の天井を見上げるとスピーカーが見える。
ああ~有線か何かが混線してるのかな~。

軍艦マーチの次は中森明菜の少女Aが流れてきた。
続いてはアルフィーの星空のディスタンス。

スーパーマンのテーマソング。
ジャズやオーケストラなど。

なんともテーマ性のない有線放送だな。
と思っていた。

だが、この音楽が非常に心地いい。
今度はどんな曲が聞こえるのだろう。
出来ればマーチがいいな。
なんて思っていた。

多分、幻聴だ。
かすかに聞こえる幻聴をパズルのように頭で組み合わせて自分が知っている歌謡曲や音楽に組み合わせているだけだ。
ああ~なんて心地がいいんだ。

強力な鎮痛剤、モルヒネなどは幻聴や幻覚を見ると映画で見たことがある。

深夜の病棟、みんな寝込んでいるのにこんな有線が流れるわけない。

腹は痛いが頭がふわふわとした感覚が心地良い。

何度目かの鎮痛剤を注射した後、女性看護師に頭を胸にうずめられたが、あれも幻覚、錯覚だったのだろう。

あの時の鎮痛剤はモルヒネだったのだろうか。
あのふわふわした感覚は非常に心地ががよかった。

麻薬の心地よさってこのような感じなのだろうか・・・

今は退院して元気にしているが。

あの日の真夜中の病棟で起きたことは人生初の体験で、異世界感が半端なかったなぁ。