前置き
まずは前置き。
あだし野念仏寺がある奥嵯峨の景観も踏まえて紹介。
阪急嵐山駅より歩くこと約25分。
平安時代の避暑地である奥嵯峨へと向かう。
奥嵯峨は風情のある建物が軒を連ねる景観美観地区。
嵐山は観光客が多いですが、ここ奥嵯峨は休日でも人はまばら。
静かな京都を観光したいのなら奥嵯峨まで足をのばすのもいいと思う。
あだし野念仏寺
雰囲気のある街並みを眺めながら歩いているうちに、
あだし野念仏寺へと到着。
華西山東漸院(かさいざんとうぜんいん)と号する浄土宗の寺で、境内には付近から出土した多数の石塔や石仏が立ち並んでいる。
化野(あだしの)は古くから鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)とともに葬地として知られ、
誰とても とまるべきかは あだし野の
草の葉ごとに すがる白露
という西行の歌にもあるように、「化野の露」は、人生の無常の象徴として和歌などで広く使われている。
寺伝によれば、弘仁年間(810~824)に、空海上人がこの地に葬られた人々を追善するため、小倉山寄りを金剛界、曼荼羅山寄りを胎蔵界と見立てて千体の石仏を埋め、中間を流れる曼荼羅川の河原に五智如来の石仏を立て、一宇を建立して五智山如来寺と称したのが始まりといわれている。
当初は真言宗であったが、鎌倉時代の初期に法然上人の常念仏道場となり浄土宗に改められ、念仏寺と呼ばれるようになった。
正徳二年(1712)に寂道上人が再建したといわれている本堂には、本尊の阿弥陀如来坐像が安置されている。
毎年八月二十三、二十四日に行われる「千灯供養」では、八千体にも及ぶ無縁の石仏等に灯が供えられ、多くの参詣者でにぎわう。
入山拝観料は500円。
ここは竹林でも有名なお寺なのですが・・・
残念ながらこの日は工事中につき竹林は見れない・・・
苔むす寺内にはいつの時代のものか分からぬ無数の石塔、石仏が安置されている。
こちらは仏舎利塔。
仏舎利塔の脇にある鳥居?
こんな形状の鳥居を見たのは初めてだ。
どのような由来のものなかとても不思議な形状。
西院の河原
こちらが西院の河原。
あだし野念仏寺には約8000体の石塔、石仏がある。
この地は何百年もの昔から死者の埋葬地であったらしい。
小倉山の麓あだし野にあるあちらこちらの大古の無縁仏の石塔、石仏を明治時代に地元の有志がこの寺に集めて、極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞられて配列し安祀したのだそう。
なぜ、西院の河原と言われるのかというと、
地蔵和讃にあるように、
これはこの世の事ならず死出の山路のすそのなるさいの河原の物語。
みどり児が河原の石をとり、
あつめてこれにて廻向の塔をつむ
一重つんでは父の為二重つんでは母の為・・・
とあるように親よりも早く亡くなった幼児が父母のために石を積み上げた河原の有様を思わせる事から西院の河原といわれるようになったという。
これらの写真は西院の河原外で撮影した写真。
西院の河原内はなぜ撮影禁止なのだろう。
写真にもあるように西院の河原内での撮影は禁止。
なぜ?
と不思議に思うのだが・・・
理由はたぶん、この場所が西院の河原と言われる由来にあるのだと思う。
単刀直入にいえば、
西院の河原内はこの世でない。
いわゆるあの世である。
この場に足を踏み入れたものは、心の中で念仏を唱え、この世の魂を真摯に供養するという事なのだろうと思う。
あの世の世界に足を踏み入れた心構えとしてカメラ撮影は禁止のなのだと・・・
寺社仏閣などでは祀られている仏像の撮影が禁止されているのも仏前での心構えとして撮影が禁止となっている。
それと同じ、屋外の石塔、石仏とはいえ、ここはあの世なのだ。
年配の方の中には無縁仏に近づくと怨をもらう、ましてや法力を持たないものが手を合わせたり、念仏を唱えるのはもってのほか。
という方も多いだろう。
まぁ今となっては観光地ではあるのだろうが、非常に珍しい場所なのである。
ではでは。