暮らしの顛末(くまくまコアラ)

50代サラリーマン、趣味は1人旅、バイクツーリング、写真撮影、温泉、銭湯巡り。 古い町並みが好きで歴史を感じる関西の各所をブログで紹介しています Canon EOS RとRICOH GR IIIを愛用して観光地巡りやら旅行、アウトドアで風景写真やらを撮っているミニマリストのブログ。 愛車は1号機DAHONのRoute。2号機Kawasaki Versys-X250。3号機TOYOTA のプリウス

昔の人は人生につまずくと出家するパターンが定番だけど、今の時代のひきこもりからの出家というセーフティネットを考えてみる

f:id:kumakumakoara:20190605225911j:plain

 

まぁそんな事を思ったのでございます。

 

現代社会に生きづらさを感じて引きこもる。

特に中年世代に多いとのことで問題となっている8050問題。

 

就職氷河期だとか、景気後退だとか、
なんだかこの時代が作り出した問題であるように思ったりするのだが・・・

 

よくよく考えると今も昔も生きづらさは変わらないのだろう。

このご時世になって急に生きづらくなった。
なんて事はないのだと・・・

 

で、過去、生きづらさを感じた人はどうしたのか。

常套手段が出家をするというパターン。

 

歴史上のよくある出家パターンとしては

叶わぬ恋ゆえに出家する。
人生に挫折をして出家する。
生きづらさを感じて出家する。

などなど

 

昔の人達はとかく人生につまずくと出家をするというエピソードが多い。
全ての救いは仏道にありという事なのでしょう。

 

で、考えた。

昔の人にとって、自殺志願者やひきこもりのセーフティネットは仏門を叩くという事だったのだろう。

 

政府はひきこもりに対して積極的に支援をするとしているが・・・
現代の日本の価値観で構造改革や枠組み作りをしてもひきこもりの人の居場所を確保するのは難航するだろうと思う。

 

それは今に始まったことではなく、長い歴史上ずっと存在する問題であり、高度経済成長期に少し影を潜めたに過ぎないのだろうから。

 

精神的なよりどころを自由経済社会で受け入れるのは限界があるのだと思う。

 

戦後復興時に精神的なよりどころを求めて信仰宗教が盛んになった歴史を考えると、今の時代もそのような選択肢はありなのかもしれない。

 

精神的な充実という価値観を経済以外に求めるのは難しい社会ではあるのだが・・・

時代は回るである。

 

再びそのような精神の充実を求める時代になるのかもしれない。

物が充実しても心が満たされないという傾向にある昨今。

 

精神の充実を求めて出家という道を選ぶパターンへと導くことは決して悪いことではないのだろうか。

 

少なくとも死を選ぶよりは・・・

そんな事を思う今日この頃です。