いや~コロナ禍で海開きをしない海水浴場があったりしますが、関西の海水浴場事情は須磨海水浴場は今年は開設しないとのこと。
で、和歌山県白浜は海開きということで、関西の海好きは白浜へと集中しているのかな。
4連休の中日なんですが、白浜に向かう阪和道は有田川付近から10㎞ほどの渋滞。
まぁ私は海水浴が目的で白浜に向かっているのではないですけども・・・
吉野熊野国立公園 名勝 千畳敷
やってきたのは白浜の観光地、吉野熊野国立公園、名勝、千畳敷。
その名の通り、畳千畳ほどもある岩畳で有名。
被写体が広大過ぎて、何をどう撮っていいのやら。
スゲー!こんな場所でウェディング撮影をしている。
あぁウェディングドレスの裾がフジツボだらけの岩肌にベッチョリやがなぁ。
まじかで見ると結構、フナムシだらけなんだよね。
吉野熊野国立公園 名勝 三段壁
さて、先ほどの千畳敷から車5分とかからない場所。
こちらも吉野熊野国立公園で名勝である三段壁へ。
三段壁って何が三段なんだ?
って思うのだけど、どうやらこの場所に魚の群れを見つけるための監視場があり、見段といわれていたらしいが、その見段が三段となったらしい。
なので何かが三段あるというものではない。
三段壁洞窟へ。
三段壁の下には大きな洞窟があり、ここより36mほどエレベーターで下に降りるのだとか。
入館料1300円とはかなり強気の価格だぁ。
なんて思いながら、地下36mの世界へといざなうエレベーターへレッツゴー。
地下36mの世界に到着すると、とりあえず観光客1組1組の記念撮影をして、気に入ったら買ってほしいという昭和観光地あるあるを体験してから中へ。
三段壁洞)窟の由来
第50代桓武天皇の項熊野鬼ヶ城を本拠とした海賊多賀丸なる者がいた。
三段壁もその頃は「みだん」と呼ばれて海上を運航する船の状況を偵察したり果は魚群の様子などを岩頭に立ってみる壇から、みだん、三段になったと云われている。鬼ヶ城を本拠とする海賊(水軍)の隠し洞窟として使用されたと思われるのは沖を通る大船がある朝惣然と消えたり燃えて海上から没してゆくのを見たと古い記録にある。魔の牟婁沖を船夫達に恐れられたのも事実だろう。
源氏、平家が四国の屋島で対決し那須の与一が扇の的を射た時点に於いては勝敗は何れのものともわからなかった。
当時熊野の武力を一手に収めて支配していた、かの豪傑武蔵坊弁慶の父第二十一世熊野の別当湛増は陸兵の外、敏捷果敢な水軍を配下にもって源氏に決定的勝利をもたらした。前述の多賀丸も時の征夷大将軍坂上田村麻呂に征服されたが、その代表的な人物である。鎮座
源平の主戦場は屋島沖の壇の浦になったが、魔の沖合で源平の前哨戦が行われたが綱不知(東白浜)付近に今も尚、平家の残党の末裔も数多く住んでおられます。洞窟の弁天様は、眼下に雄大なる太平洋を見おろし古い歴史と伝説のあるこの地に弁才天をお祭りして有史以来今日迄不幸にも自殺された、数千の霊を永遠にお祭りした亡き霊も喜ばれることと思っていた矢先、有る夜惣然と日頃信仰する弁天様が海の見える場所へ鎮座したいとの霊感をお受けしたので、創設者新藤源吾氏が早速大和五條の総本山に請願し、仏師、池田正源が精魂込めて製作、当洞窟内に安置され、和歌山県下信者一同がお祭りしております。
熊野水軍が隠れ基地として活用していてたという洞窟。
打ち寄せる波のはじける音が洞窟内に響いてすごい迫力。
地面が濡れているのは海の波しぶきではなく、地下水なのだとか。
円月島(高嶋)とか。
天気はイマイチだったけど、雨に降られなかっただけましなのかな。
ってことで今日一日、白浜を満喫したって話です。
ではでは。